一つのドアが閉まるとき、別のドアが開く。
しかし、閉まったドアをいつまでも残念そうに見つめているので、
開いているドアが見えないことがよくある。
- アレクサンダー・グラハム・ベル -
(電話機などを発明したスコットランドの発明家。)
得るものがあれば失うものもある。
人間が持てる量には限界があります。
新たなものを得るためには、必ず今持っているものを捨てなければならないわけです。
アレクサンダー・グラハム・ベルの言葉のように、一つのドアが閉まるときは、必ず別のドアが開くものです。
むしろ、新しいドアを開くためには、何らかのドアを閉めなければならないのではないかと思います。
もしあなたが、今のレベルから一歩上のレベルに上りたいと思っているのであれば、今の環境を捨てなければなりません。
「この世は代償を必要としない報酬など存在しない」
と言ったのは、かの有名なナポレオン・ヒルです。
必ず今ある何かを代償として差し出さなければならないわけです。
しかし人間というものは、あれもこれも欲しがるものであり、今ある幸せを維持しながら、さらに得たいと考えてしまうものです。
新たなレベル、新たな環境に身を置きたいと思いながらも、今ある環境や人間関係も崩したくない。
そのように考えてしまうわけです。
もちろん、人間関係を大切にすることは決して悪いことではありません。
しかし、もしその人間関係があなたのレベルアップに障害となる人間関係なのであれば、ぬるま湯の環境なのであれば、それを捨てない限り新たなフェーズには行けないと言えるでしょう。
確かにその環境は楽しいのかもしれません。
楽なのかもしれません。
失いたくはないでしょう。
しかしその環境を捨てなければなりません。
そのドアを閉めなければなりません。
そうすることで、新しいドアが開かれるわけです。
その環境を失いたくないからと言って、友達が離れていくのが悲しいからと言って、いつまでも残念そうにそのドアを見ていてはいけないということです。
その決断をすることで、必ず新たな扉が開かれているはずですから。
一度ドアを閉めたのであれば、後ろを振り返らずに、新たに開いたドアの方向に向かって歩まなければなりません。
もし後ろを振り返ってしまったり、閉まったドアに名残惜しさを感じてしまったら、閉まったはずのドアの方向に歩んでしまいます。
そして不思議なことに、閉まったはずのドアはあなたの帰りを迎え入れ、簡単にドアを開けてくれます。
人が何かを決断しても長続きしないことがよくあるのは、このことが原因だと言えます。
新たに開いた扉は簡単にあなたを受け入れてはくれませんが、閉まったドアは簡単にあなたの帰りを迎え入れてくれるのです。
孫正義さんは、高校生のとき、アメリカで勉強すると決断し、退学届けを出して渡米しました。
先生や友達からは、何も退学しなくても、卒業してからでもいいのではないかとか、今どうしても行きたいのであれば退学するのではなく休学にして行ってみてはどうかと言われたそうです。
しかし、そのような必死の説得にも応じず、退学届けを出して渡米することを決断しました。
なぜ孫正義さんはそのような危険な決断をしたのか。
その理由を孫正義さんはこのように述べています。
自分は弱い人間であり、そこに戻ってくる場所があれば、アメリカでくじけた時に簡単に戻ってしまう。何かを成し遂げるためには、退路を断つ必要があるのだ、と。
これは閉めたドアに二度と自分が戻らないように、ドアにカギをかけるどころか、
そのドアをぶち壊して前に進んだと言えるでしょう。
孫正義さんは、一度閉まったドアであっても簡単に戻ってしまうこと、そしてそんな自分であってもそのドアは簡単に受け入れてくれることを知っていたのでしょう。
時にはそのようにして、閉めたドアに戻らないようにし、新たなドアだけに集中することも大切なのだと思います。
閉めたはずのドアとは、それほどまでに名残惜しく、強い引力を持っているものです。
だからこそ、そのパワーにも負けない強い決断、燃えるような情熱が必要になってくるわけです。
新しく開かれたドアはなかなかあなたを受け入れてはくれませんが、閉めたはずのドアは簡単にあなたの帰りを受け入れてくれる。
このことを知っておく必要があるでしょう。
そしてそれを知った上で、あなたが進むべき道は、新しいドアの方向であるということを深く認識しておく必要があるわけです。
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