人は安全を確保したいから自分の意見を押し殺す。しかし、それが安全である保障はどこにもない。

哲学

あなたは自分の意見を堂々と述べることが出来る人でしょうか。
それとも、人の意見に合わせる人でしょうか。
私の感覚では、自分の意見を述べることが苦手な人が多いように思います。

例えば、上司意見に反対であったとしても、グッと自分の意見を堪えて上司の意見に従う。
あるいは友達と何気ない話をしているときでも、本当は自分はそう思っていないのに友達に合わせる。
または、いじめが起きている状況を知っていて、それは良くないことであり、すぐに止めさせるべきだということも分かっている。
自分自身その状況は楽しくないし、見ているだけでも不快である。
そんな状況でも、もうこんなことやめようよとか、やめろとも言えず、見て見ぬふりをしたり、周りに合わせたりする。

世の中にはこんな状況が溢れているのではないかと思います。

頭では、自分が正しいと思うことは主張するべきであるということは誰もが分かっているはずなのに、それが出来ない。

この原因は、自分の身を守るため、常に安全であることを選択しているからです。

自分の身に火の粉が降りかからないよう、リスクを負わず、常に神経を張り巡らせ、安全な方、安全な方を選択しているわけです。
これが自分の主張を述べない最大の理由です。

しかし、自分では常に安全な方を選択しているつもりでも、結果的に自分の人生を危険にさらすことになりかねません。

何もかも自分の意見を主張するのが正しいとは言いませんが、逃げてばかりでは自分の人生を他人に委ねていることになります。

自分の意見を主張すると嫌われるかもしれませんし、後の仕返しが怖いという部分はあると思います。
確かにそこがリスクであるわけです。
しかし、時にはある程度のリスクを負う必要があります。

自分がその立場に立つと、どうしても悪い方向に思考を巡らせてしまいがちですが、逆の立場で考えてみるとどうでしょう。
つまり、あなたが当事者ではなく、傍観者であり、その人を見る側に回ってみた時にどう思うか。

人の意見に対して、決して自分の意見は主張せず、なんでもハイハイという事を聞くイエスマンを見てどう思うでしょうか。
逆に、自分の意見をしっかりと持っていて、それを主張し、自分の言動に責任を持っている人が居たとすれば、どちらを尊敬するでしょうか。

答えは明白だと思います。

自分の意見を押し殺し、一切反対しないイエスマンは、きっとどこへ行ってもイエスと答えているはずです。
それに対して、自分の意見をしっかり持っている人は、どこへ行っても明確に自分の意見があり、一貫性があってブレないわけです。

周りから見れば、信頼度が違うわけです。

安全な方を選択しながら人付き合いをしているつもりでも、実はその一貫性の無さが周りからの信頼を下げることになり、人から避けられる原因になることもあり、上辺だけの薄い人間関係しか築けないことにもなるわけです。

そして何より、やはり人に合わせるという事は自分自身の思考や感情を押し殺すことになり、単純に人生の自由度は減ります。
自分が思う通りに、自由に選択出来ないということは、やはり楽しくないし、苦しいし、しんどいことが多いです。

そして他人に依存しているとも言えます。

他人に依存しているという事は、その他人が手のひらを返せば自分の意志や行動とは関係なく、悪い結果が与えられるという事です。
これはその他人が悪いわけではなく、他人の意見に乗り、他人に依存した自分自身が悪いわけです。

例えるなら、自分は一切操縦できない船に乗り込み、船が沈没するようなものです。
その船が沈んだことが悪い!という人がたくさんいますが、その船に乗ると決めた自分に責任があるわけです。

意見が違うということは、その船が危険だという事を察してたわけであり、その船には乗らないという選択肢は十分にあったわけです。
それにも関わらず、無難に乗り込むことを決めたのであれば、その責任の所在は間違いなくその本人にあります。
そうであれば、自分で操縦出来る船に乗り込みたいと思うのではないでしょうか。

もし、その乗り込んだ船の船長がイエスマンだったらどうしますか?
簡単に手のひらを返されて沈没です。

結局、安全な方、安全な方を選択しているつもりでも、自分の意見と違う船に乗り込むことは危険であり、そこに依存することは危険であるわけです。

そしてその船の中にいる間は、恐らくずっと苦しい。

そうであれば、やはり自分が乗る船の舵は自分で切り、責任の所在を明確に自分にした方が、楽しく航海が出来、覚悟を持って航海が出来るのではないでしょうか。

これは昔、友人か先輩か、とにかく身近な人から聞いた言葉ですが、

自分を主張せずに苦しむぐらいなら、自分を主張して孤立した方が良い。

と言っていた人がいました。
その人を覚えていないのは申し訳ないですが、この言葉だけは覚えています。

まさに今日のテーマにピッタリな言葉ではないかと思います。

そもそもそのような人は孤立を恐れてはいません。
それどころか、その居場所がしんどいのであれば孤立を選ぶ傾向にあります。

私なら、無理に自分を押し殺しながら人生を歩むよりも、自由な孤立を選びます

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