その行動はありがた迷惑?相手にとっての良いことと、自分にとっての良いことは違う。

哲学

ボランティア活動は偽善だ、というようなことが言われることがありますが、私はとんでもないことだと思っています。
いい人ぶっているとか、自己満足と言う人もいます。
確かに自己満足ではあるかもしれませんが、それで世の中に貢献しているのですから、やっぱりボランティアは素晴らしいことだと思います。
私自身、ボランティア活動をやったことはありませんし、なかなか出来るものではないと思っています。
少なくとも、やりもしないのに批判をするなと思います。

しかし、そんなボランティアも一歩間違えば迷惑行為になる事は覚えておかなければなりません。

人に何かを奉仕したりするとき、私たちは当然良かれと思ってやるわけですが、それが相手にとっても良いことであるとは限らないということです。

例えば、何かの災害が起きた時、現地には食料などのたくさんの物資が届くそうですが、あまりの多さに、物資が余ってしまい、処分に困るということがよくあるそうです。
また、ボランティア以外の事でも、退屈しないようにと一生懸命しゃべりかけてくれる美容師さんや、いきなり始まる服屋さんの商品説明、一人にしてほしいのにアドバイスをしてくる人など、本人は良かれと思ってやっていることでも、相手にとっては迷惑になる事というのは多々あります。

つまり、ボランティア活動がどうのこうのという問題ではなく、私たちの身の回りにはこのようなことがたくさんあるわけです。
いわゆるありがた迷惑と言われるようなことはあふれかえっているわけです。

誰かに親切にする、誰かに奉仕する、誰かに尽くす、これらはすべて良いことのように思われがちですが、そうとも限らないということです。
そのように、誰かの役に立とうとする気持ちは本当に素晴らしいものですが、その素晴らしい気持ちを持っていたからと言って、結果が素晴らしいものになるかどうかはまた別問題であるということです。
例え誰かに親切にしようとも、その人にとっては不愉快な行為にだってなり得るわけです。

親切心から、電車でお年寄りに席を譲ろうとしても、その人からすると私はまだそんなに歳をとっていない、とばかりに断れるということはよくある話です。
いくら誰かに奉仕したとしても、それがその人にとって必要なものでなければ迷惑になることもあります。
いっぱい手に入ったからといってたくさんの食べ物をもらっても、こんなに一杯もらっても困ると言われたり、誰が調理するのと思われたり、お返ししなければならないと逆に気を使わせたりするということもよくある話です。
例え自分の身を捧げるかのように誰かに尽くしたとしても、それは相手にとって重荷になることもよくある話です。

一見良いことのように思えること、自分は本当に相手のためを思ってやっていることであっても、必ずしも相手のためになるとは限らない、むしろ迷惑になるということも多々あるわけです。

そういう意味では、どんなに自分が一生懸命であったとしても、結果的には偽善であったり、迷惑であったり、負担になってしまいます。
つまり、ただ良いことをすれば必ずしも良いかというとそうではないということです。

では、本当に相手のためになる事をするにはどうすれば良いのかということが問題になってきますが、それは、まず相手にとっての良いことと、自分にとっての良いことは違うということに気づく必要があります。

人には好きなこと、嫌いなこと、興味のあること、ないこと、はたまた性格の違いから生活や環境の違いなど、さまざまな違いがあるわけです。
それにも関わらず、自分が嬉しいと思うことは相手も嬉しいと思うはずだと思うこと自体がおかしいわけです。
この違いを理解しておく必要があります。

そしてその違いを知ったなら、相手はどんなことを嬉しく思うのかを知る必要があるということに気づくはずです。
それを知るためには、相手に興味を持ち、相手の話を聞くこと、相手の行動をよく見ることです。

相手の話、相手の行動から、相手が今何を必要としているのかが見えてくるはずです。

それぐらい相手の事に興味を持ち、相手の事を大切に思わなければ、親切心はただの自己満足となり、身勝手な行動になってしまう可能性があるということです。
相手に興味が無いなら、むしろ何もしない方が良いわけです。
相手の思考も考えずに、無理矢理自分に当てはめることは、迷惑以外の何ものでもないと言えます。

お医者さんは処方箋を出す前に、必ず問診をします。
相手の病状を知ってから処方箋を出すわけです。
こんなことは当然の事であり、そうでなければ怖くて出された薬なんて飲めません。
しかし私たちはこの当然のことを忘れてしまい、問診をする前に処方箋を出そうとするわけです。
問診もしないで、私はこの薬で治ったんだから、あなたもこの薬で治るはずだと言っているのです。
そして相手が治らないと言おうものなら、そんなはずはない、私は本当にこれで治ったんだから。
もっとたくさんこの薬を飲みなさい。
次は食前に飲んでみなさい。
などと自分の考えを押し付けるわけです。

本当に相手のことを思うなら、自分の考えだけで奉仕するのではなく、相手の話をよく聞き、相手の行動をよく観察し、相手の気持ちを汲み取ってから奉仕する必要があるわけです。

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