もし財布の中身を頭につぎこんだら、誰も盗むことはできない。知識への投資がいつの世でも最高の利子を生む。

名言

もし財布の中身を頭につぎこんだら、
誰も盗むことはできない。
知識への投資がいつの世でも最高の利子を生む。

ベンジャミン・フランクリン
(アメリカの政治家、科学者、著述家、アメリカ独立宣言起草者の1人。アメリカ建国の父と称される。)

投資とは、主に金銭において、将来的な増加を見込んで今ある資本を投じることを指す場合が多い。
けれど、投資とは、何も金銭的なものを指すわけではない。
投資に関しては、色々なところで色々な定義が述べられているけれど、私の個人的な定義を書かせてもらうと、
今得られるものを我慢して、将来により大きなリターンを得られることだと定義づけている。

これは、金銭的な意味でも、時間的な意味でもそうだと思う。
金銭なら、今あるお金を消費や浪費に使って豊かな生活を送ることが出来るけれど、今得られるそれらを我慢して、将来のリターンにつなげることが投資だと思う。
時間的な意味でも、今使える時間を楽しい時間にすることは出来るけれど、それを我慢して、将来に役立つ時間にすることが投資だと思う。

いずれにしても、今使うことが出来るものを我慢して、そのお金なり時間を将来に回してより大きなものにすることが投資だと定義して間違いないと思う。

そう考えれば、有限であるお金、時間、エネルギーを何に使うか、常に判断している私たちは、全員もれなく投資家だと言えるかもしれない。

そしてその中で最も大切な投資が自己投資だと思う。
その理由は、今日のベンジャミン・フランクリンの名言通りだと思う。
知識に限らずだけれど、自分が学んだこと、経験したこと、体得したことは何物にも奪われない。

金銭的なもの、あるいは人脈的なものであっても、時には一瞬にして失ってしまう可能性がある。
投資による損失はもちろんだけれど、それ以外にも予期せぬ事態、例えば天災、詐欺、盗難、倒産、病気など、今まで築いてきたものが一瞬にして奪われてしまう可能性はある。
けれど、自分の中に組み込まれたものは決して奪われることはない。
それさえあれば、例え上記のような災難に見舞われ、全てを失ってしまったとしても、またやり直すことが出来る。

そして、株式投資にしても、ビジネスへの投資にしても、結局運用するのは他でもない自分。
そうであれば、その運用者の知識、スキル、感覚、選択、行動など、それら全てにかかっていると言える。

同じように株式投資をした人でも、稼げる人もいれば稼げない人もいる。
ビジネスでも、稼げる人と稼げない人はいる。
それは他でもない、自分の中に内在するものの違いだとしか言いようがない。

そして自己投資は、他の投資よりも圧倒的なリターンを得られる場合がある。
言わば、自己投資によるリターンは無限大だと言える。
それは自分という資本は磨けば磨くほど、制限なく可能性が広がるから。
株式投資などの、年利何%というような相場なんかもない。
磨けば磨くほど、色々な視点で物事を見ることが出来るようになるし、手法、ノウハウ、術が分かってくる。
それ体得すればするほど、点と点が線でつながるように、可能性は広がってくるのだと思う。

私は人に、例えば孫正義さんがソフトバンクという会社を失ってしまったら、そのまま落ち目になりますか?と質問することがある。
皆の回答は十中八九、ならないという回答になる。
それは孫正義さんが、ソフトバンクという資本を持っているから強いのではなく、孫正義さんという人間が持つ力が強いのだということを、感覚的に理解しているのだと思う。
想像しにくいけれど、万が一ソフトバンクが無くなったとしても、孫正義さん本人がどう考えるかはさておき、きっとまた何かの事業でその名を轟かすことだと思う。

結局、金銭的な資産よりも、自分という資本がどれだけのものなのかということが重要なんだと思う。
自己投資とは、無限の可能性があり、どんな状況に陥っても使える最大の投資である。

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