本当の平等とは、不平等であることである。

哲学

以前にこのブログで、
皆が不満を持つ理由である、会社の見えない不平等さを説明しようと思う。
という記事を書いた。

詳しくは記事を読んでいただきたいのだけれど、会社とはそもそも不平等なものであり、企業というものの構造を見ればそれが簡単にわかる。

企業とは、社員が働いて稼いだお金を一度回収し、それをある意味皆に平等に支払う分配方式だと言える。
例え能力が低くても、仕事をサボっていても、基本給だけは貰える。
では、基本給分も仕事が出来ない人の給料分はどこで補填されているかと言えば、間違いなく給料以上の仕事をしている人達が補填していることになる。
この平等な分配方式が、不平等を生む原因だということになる。
この不平等さに気づき始めた人たちが、不満を持っている。

しかしこの平等であるからこそ生まれる不平等さは、何も会社だけではない。
平等に平等にと声高に叫ばれる場所ほどこのような不平等は生まれる。
そしてそれが顕著に表れていて、皆が一番多くの不満を漏らすのが、累進課税という税収制度だと思う。
いくら人一倍汗水たらして働いて、やっと高収入を勝ち得たとしても、その人はたくさん稼いでいるから人よりも多く税金を支払わなくてはならない。
これも、国民が出来る限り平等な生活を送れるように国が打ち出した制度だと言える。
けれど、平等を作り出せば必ず不平等が生まれることを忘れてはいけないと思う。
国民の多くがこの平等であることの不平等さに不満を持ち始めた今、この平等であることが正義だと考える社会は崩れると私は思っている。

そもそも、人は生まれながらにして平等であるという言葉があるように、一部の国や地域を除いては、多少の違いはあれど、皆平等である社会はほぼ確立されていると思う。
そこに手を加えて平等にしようとするから、不平等さを生むのだと思う。
人権などの権利は平等であるべきだと思うけれど、自分が頑張って勝ち得たものまで平等にされたらたまったものではない。
平等は正義とされていた時代は終わりを迎えると思う。

とは言え、平等であるべきとされる国の税収制度や会社の仕組みに対して不満を述べるつもりはないし、そういう仕組みがあるからこそ、本当に困っている人を国が助けることが出来る。
それ自体に不満を持っているわけでも、それ自体を変えるべきだと言うつもりはない。

けれど、多くの人が平等であるからこそ生まれる不平等さに気づき始め、時代が変化している今、私たち自身は平等を求めていてはいけないと思う。
平等を求めるのではなく、普段から依怙贔屓(えこひいき)してもらえるように頑張ることが大事だと思う。

商売でもなんでも、最高の接客をして、最高の商品を提供することで、依怙贔屓してもらうことが大事。
私たちが普段頑張るのは、依怙贔屓してもらうためだと思ってもいいと思う。
ある意味、自分で不平等を掴み取りに行くからこそ、何事も上手くいくようになるのだと思う。

大きな影響力を与える人を指すインフルエンサーという言葉が定着してきたけれど、この人たちはまさに、普段頑張って皆から依怙贔屓してもらっているのだと思う。
それは自ら確立したポジションであり、揺るぎないポジションとなりつつある。
インフルエンサーの発する言葉と、そうでない人の発する言葉では、同じ発言をしても得られる反応は全く違うものになる。
これが確立したポジションの違いであり、不平等でありながらも、本来の平等さなのだと思う。
そしてこのようなポジションが生まれたこと自体が、時代の変化であり、流れだと思う。

今後この流れは加速していくと思う。
そうであれば、自らが頑張って依怙贔屓してもらえるような人間に、あるいは依怙贔屓してもらえるようなお店、会社にならない限り、この先の時代を乗り越えていくのは難しくなってくると思う。

本当の平等とは、不平等であることだと思う。

今後進むであろう不平等であり、平等な社会で勝ち組になるか負け組になるか。
これは格差社会が加速する原因の一つでもあると思う。
今なら選択する余地はあると思う。

これからの時代は特に、平等さを求める人ほど生きにくい社会になってくるのではないかと思う。

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