哲学

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自分が変えることの出来るものと、自分が変えることの出来ないもの。

自分で変えることが出来ないものはいっぱいある。例えばどこの誰のもとに生まれるかとか、いつ人生を終えるとか。そんなことは周知の事実であるけれど、時として人はお金持ちの家に生まれたかったなどと言う。それは変えることの出来ないものに執着していることになると思う。この目線で物事を考える人は、人生を楽しみにくいと思う。自分に変えることの出来ない、無い物にフォーカスしているから。
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自分を苦しめているのはいつも自分自身である。

元アメリカ大統領であるフランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトは、あなたの許可なくして、誰も、あなたを傷つけることはできない。と言っている。ある出来事に対して、それらの感情の扉を開くということは、あなたがそれを許可したことになる。その感情を呼び出すことを許可したから、自分自身がその感情によって苦しめられるのだと思う。
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容姿が良かろうが、お金持ちだろうが、必ずしもそれが良いものであるとは限らない。

正負の法則というものがあるように、スタート地点で恵まれた人は、その得をした分、知らず知らずのうちに学べることが少なくなってしまうのではないかと思う。それに対して、決して恵まれていると言えない人は、その分多くの学びを得られる。無条件で合格する人よりも、苦悩して考えて、自ら難関を突破する人の方が学びを得やすいし、知恵もつく。
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私たちが生まれながらに持っている良心は、神の声なのだろうか。

あなたは神を信じるだろうか。このように書き始めると、なんかの神様を信じよという、何かの勧誘かと思われるかもしれない。しかし最初に言っておくが、私は神様を信じようという気はない。ただ、日ごろの行いが良いとか悪いとか、バチが当たるなどと言われるように、日ごろの行いによって良い結果を得たり悪い結果を得ることは、事実としてあると思う。
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自分らしさとは、常にアップデートされるものであり、決定づけられたものではない。

自分らしく生きると言うと、とても素敵な言葉に聞こえるけれど、必ずしもそうではないと私は思う。実は自分らしさというものを盾にして、変化を恐れているだけかもしれない。井の中の蛙大海を知らず、という言葉があるけれど、それと一緒で、外の世界を見た者でなければ、内にある物の本当の価値も能力も役割も可能性も、何もかも分からない。
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誰かに何かをしてあげたいという気持ちは、自分がそうしたいという気持ちと表裏一体である。

例えば、親孝行出来なかった子供ほど、親の葬式を立派なものにしようとすると言われるけれど、これは親が生きている間に何もやってあげられなかった分、お葬式だけでも立派なものにしようという思考が働いているのだと思う。つまり、生きている間に何もしてやれなかったという自分の気持ちを、お葬式を立派なものにすることで少しでも解消したいのだと思う。
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忍耐力も正しく使わなければ悲しい結末を生む。

何かに耐えるということは、それ自体はとても素晴らしいことで、確かに頑張っているのだと思う。多くの人がそのようにして頑張っている。だけど、その頑張る方向が間違っていれば、その忍耐は無駄なものとなり、時間を浪費することになる。時間は戻せないからこそ、普段から考え、疑問を持ち、自分は何をしたいのかをハッキリさせておくべきだと思う。
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人生はギャンブル。しかしどのような選択をし、どのような努力をするかで当選確率もリターンも変わる。

人生という名のギャンブルに勝つには、少なくともこのいい加減なBETをしないこと。BETするなら必ず根拠が必要だと思う。そして人生という名のギャンブルの面白いところは、そのようにして真剣に根拠を考え、勉強や努力をし、流れやタイミングを合わせれば、極限までリスクを減らし、当選確率を大幅に上げられること。これが面白く、人生の醍醐味だと思う。
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「離婚は悪い事」という世間の常識に流されてはいけない。

「多くの人々が親戚や友人たちや世間の批判を恐れて、結局、自分の人生を送れなくしている。また、多くの人が結婚生活に失敗してしまっているのを承知しながら、世間から批判されるのではないかと恐れて離婚も出来ず、自分の一生をみじめなものにしてしまっている。」
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自分さえよければ他人はどうでもいい?世のため人のためはキレイごと?

人間は一人で生きているわけではなく、他人と共存して生きています。他人と共存して生きているという事は、多かれ少なかれ他人の影響も受けるという事です。自分の人生と他人の人生は密接につながっているということです。だから、自分一人の幸せというものはあり得ないわけです。何かをしてあげても何の見返りも無いこともあるでしょう。しかし、時には無条件の奉仕も必要です。