自己啓発

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自分の役割とは何か?それを考えることが全ての土台作りだと思う。

人は一人では生きられないと思う。一人では生きられないからこそ、常に誰かと共存して生きている。自分には何もないと思っている人であっても、誰かと共存して生きている限り、必ずそこにはそれぞれの役割というものが発生する。例え今は小さなものだと思ってしまうような役割だったとしても、それこそが今の自分に求められているものであり、果たすべき役割なのだと思う。
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リスク=危険。その考え方こそが危険だと思う。

本来リスクとは、危険を含む未来の不確実性という意味になる。つまりリスクとは、危険も伴うけれどその分得られるものもあるということ。そうであれば、リスクを取らないということは、目の前のチャンスを放棄するということにもなる。もしかすると、とてつもないチャンスが訪れているのに、リスクを恐れるばかりにそのチャンスをみすみす逃すことになるかもしれない。
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「何かを得たければまず与えること」は本当なのか?

与えるタイプの人には落とし穴がある。それは奪うタイプの人に奪われ続ける可能性があること。与えるタイプの人で、なぜか自分ばっかり損をしている気がする、という人は、もしかするとこの奪うタイプの人に与え続けているのかもしれない。私の経験上、奪うタイプの人は、決して少なくはないと思う。与えるタイプの人も、与える人を選ばなければ、与えるばかりになり、自分自身を傷つけるだけになる。
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才能は誰もが持っている。ただ、自分の才能に合う土俵が見つかっていないだけだと思う。

自分には才能がないと思い込んでいる人は、自分の土俵を知らないだけなんだと思う。今大成功している天才と呼ばれる人たちも、自分の才能に合う土俵を見つけていなかったら、ただの凡人だったと思う。もしかすると、今才能がないと思っている人でも、自分の才能に合う土俵を見つけることで才能を発揮して大成功し、天才と呼ばれるかもしれない。
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トーク力を磨きたいなら、まず始めにトークのテクニックを磨こうとしないこと。

人は誰もが自分のことを認めてほしいし、自分の意見を聞いてほしいもの。 誰もがそのように思うから、誰もが自分の話をしたくなる。皆が自分の話をしたい、聞いてもらいたいと思っているのに、逆に皆がそのように思っているから、人の話に対して「自分なりに」アドバイスしたり、「自分の」意見を言ってみたり、「自分だったら」という話をしてみたり、「自分も」そうだと言ってみたりする。
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Googleが掲げる「常に10倍の成果を上げる」という目標が、成果を上げるための思考のカギとなる。

大抵の場合は今よりもっと頑張る、もっと努力することで成果を上げようとするけれど、残念ながらそれでは成果が10倍になることはない。それだけなら、1.5倍、あるいは2倍になれば十分過ぎる成果だと言えると思う。けれど10倍の成果を目指そうと考えると、根本的に今のやり方を見直すしかない。 これが成果を上げるためには重要な思考なのだと思う。
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目は口ほどに物を言うと言われるけれど、目は全てを物語り、目線一つで人生が変わると思う。

何か自信がないとき、何かに恐れを抱いているとき、人は目線をそらすものだと思う。その心理は、たとえ心理学者でなくても、相手に十分伝わる。なぜなら、意識していようがしていまいが、自分もそのようにして目線をそらすことがあるから、この人は今、話しかけられたくないんだということがわかる。これがいわゆる話しかけるなオーラと呼ばれるものだと思う。
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自己責任論という言葉が諸悪の根源なのかもしれない。自分が悪いと思う必要もないし、誰が悪いか探す必要もない。

自己責任論という言葉が悪く、それについて討論をするから、誰が悪いのかという悪者を探す癖が世の中に広まっているのかもしれない。きっとこの問題はもっとシンプルで、自分の中に原因を探すことが出来ればそれを改善することが出来、他人や環境からその原因を探そうとすれば何もできない。 ただそれだけだと思う。少なくとも言えることは、自分の外に原因を探しているうちは何も変えることは出来ないということだと思う。
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思い込みの力は成功の土台。スキルや能力はその不動の土台の上に立たなければ意味をなさない。

慣性の法則で考えれば、一度動き出したあなたが止まる理由はないはず。けれど、自信を無くし、立ち止まることもある。結果、あきらめたり挫折したりして夢破れることがある。もし人生にもこの慣性の法則は当てはまるとするならば、一度前に動き出しても、何らかの抑止力が働いているということになる。それに気づかず駆動力にばかりエネルギーを注ぎ込むことは、アクセルを踏み込みながらブレーキを踏んでいるような状態であると言える。
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当たり前だと思っている「今」というかけがえのない時間は、必ずいつか消え去る。

例えば、自分が最期を迎える時を思い浮かべる。恐らく、病院のベッドか自宅のベッドで天井を見上げ、家族や親戚、知人に看取られているというところだろうか。寿命なのか病気なのか、いずれにしても、きっと動くことさえできない。そんな最期を迎えている自分が、現在の自分を振り返ったなら、現在の自分がとてもうらやましく感じると思う。