こんなにも違う!チャンスを掴む人とチャンスを掴めない人の3つの違い。

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哲学

成功者が成功者である理由は、努力や実力なのか、はたまた運なのか。
このような議論は昔からされていて、今もなお答えは出ていない。

しかし、いくら忍耐強く努力を続けた人でも、ついには夢や目標に到達せずに敗れてしまうということがある。

そう考えれば、運の力はとても大きく、成功するためには絶対に必要な要素だとも言えると思う。
成功するためには運を味方につけることは絶対条件であり、これがないと成功は難しいと思う。

そうであれば、やはり成功する人は選ばれた人なのだろうか。

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世の中にはチャンスを掴む人とチャンスを掴めない人がいる

結論から言うと、運も実力のうちという言葉があるように、運を味方につけることが出来るかどうかはその人次第であり、決して神様の気まぐれで運が巡ってきたり、選ばれた人だけが幸運に恵まれるものではないと私は思う。

運を味方につけるためには、まず目の前に現れるチャンスを掴む必要がある。

そのチャンスを掴むことが出来るかどうかで、運を味方につけられるかどうかが決まるのだと思う。

つまり、運を味方につけられる人はチャンスを掴むことの出来る人であり、運に見放される人はチャンスを掴めない人。

チャンスを掴む人はどんどんチャンスをものにしていき、チャンスを掴めない人はことごとくチャンスを逃していく。

つまり、チャンスを掴むにはそれなりのコツがあり、そのコツを理解している人がチャンスをものにし、そのコツを理解していない人がチャンスを逃していく。

その結果、運が良かった、運が悪かったという結論に陥るのだと思う。

けれど、運が良かった悪かったというのは所詮結果論に過ぎない。
運を味方につけられるかどうかは、その前のチャンスを掴むことが出来るかどうかにかかっているのだと思う。

では、チャンスを掴むことの出来る人と、チャンスを掴めない人の特徴とは何なのか。
その違いを解説したいと思う。

チャンスが来ると思っているか来ないと思っているかの違い

「チャンスは誰のもとにも平等にやってくる」

このような言葉があるけれど、ハッキリ言って私にはこの言葉が正しいとは思えない。
生まれた家や地域も違えば、巡り合う人も違うし、持って生まれたもの(素質、才能、金銭的豊かさ、環境、その他もろもろ)も違う。
そんなに違いがあるのに、チャンスだけが果たして平等にはやってくるだろうか。

決してチャンスとは、平等にやってくるものではないと思う。
そもそものスタートラインが違うことは認めなければならない。

けど、そのスタートラインが違うから、チャンスが来ないと思い込むのは違う。
それはただの言い訳となることが多いように思う。

スタートラインの違いはあれど、その違いは努力や行動によってすぐに埋めることが出来る。

けれど、その努力を怠る者にはチャンスは来ない。

逆に言えば、生まれた環境や持って生まれたものに恵まれていたとしても、努力を怠る者や恵まれていることにあぐらをかく者はどんどんチャンスを得る機会を失っていくものだと思う。

努力をするものにも努力を怠る者にも平等にチャンスが来るというほど世の中は甘くない。
それでも平等にチャンスがやってくるというならば、その方がよっぽど不平等である。

どんな状況下に置かれていようと、自分には必ずチャンスがやってくると信じること。

そしてそのために普段から努力を怠らないことが大切であり、チャンスを掴むことの出来る人ほどチャンスは来ると信じて努力する。
逆に、チャンスを掴めない人ほど自分にはチャンスが来ないと思っているか、チャンスが来ないことを言い訳にして努力を怠る傾向にあると思う。

何の努力もせずにただ待っているだけでチャンスがやってくるほど甘くはない。
チャンスを掴みに行こうとする姿勢こそがチャンスを呼び込むのだと思う。

チャンスを目の前に動くことが出来るかためらうかの違い

前述のように、チャンスは来ると信じ、そのための努力を怠らなければチャンスは呼び込むことは出来るものだと思う。

しかし、チャンスとは呼び込むだけではダメで、呼び込んだチャンスを掴む必要がある。

「幸運の女神には、前髪しかない。」

これは「モナ・リザ」「最後の晩餐」の作者として有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な言葉。

これは、チャンスとは一瞬で過ぎ去るものであり、呼び込んだチャンスはこちらに向かってきた時にすぐに掴まなければならないものであり、通り過ぎそうになってから慌てて掴もうとしても、もう手遅れであるということを例えた言葉。

チャンスを掴むなら、こちらを向いているときに前髪を掴まなければならず、通り過ぎそうになって慌てて掴もうとしても、幸運の女神には後ろ髪はないため掴めないという真理を突いた言葉。

つまり、チャンスとは躊躇している間に逃げてしまう。

普段から努力してチャンスを呼び込むことが出来たとしても、いざそのチャンスが目の前にやってきたときに、そのチャンスを掴む準備が出来ていなければ、自分の手のひらからそのチャンスは簡単にこぼれ落ちてしまう。

チャンスを掴めない人の特徴として、優柔不断が挙げられる。

そのような人は、チャンスが目の前にやってきたとしても、いつもためらうばかりで行動に移せない。

もしチャンスが、「これがチャンス」だとはっきりと分かるものであれば、誰もがすぐに掴みにいくのだと思うけれど、チャンスとはそのほとんどの場合、姿を隠していることが多い。

その正体を探っていたり、それを掴みにかかる際に被るかもしれない自分の損失の勘定をしている間に、チャンスというものはあっという間に過ぎ去っていってしまう。

つまり、チャンスを掴みたいと思いながら、チャンスを掴む準備が出来ていないのだと思う。

このように言うと、優柔不断な性格が悪いのだと思われる方もいらっしゃるかもしれない。けれど、優柔不断とは、決して性格の問題ではない。

そこに必要なのは、断固たる決意や覚悟であり、それが無いから迷いが生じるのだと思う。

チャンスを掴むことの出来る人とは、その断固たる決意や覚悟があるから、すぐに行動に転じ、そのチャンスを見逃さずに捕まえることが出来る。

幸運の女神の前髪を掴めない人は、幸運の女神を捕まえる準備が出来ていない人であり、準備が出来ていない人とは、決意や覚悟が甘い人であると思う。

自分の指針となる羅針盤は、決意や覚悟でその正確性が決まる。
正しい方向を示さない羅針盤を持っている限り、そこには必ず迷いが生じる。

幸運の女神とは、そのようにして、いとも簡単に逃げ去っていくものだと思う。

チャンスとともにやってくる苦痛に立ち向かう覚悟があるかないかの違い

「この世は代償を必要としない報酬など存在しない。」

これは自己啓発の祖とも呼ばれ、「思考は現実化する」の著者としても有名なナポレオンヒルの言葉。

つまり、チャンスは必ず苦痛と一緒にやってくる。

その苦痛に耐え、乗り越えた者だけがチャンスを掴むことが出来る。

その苦痛に耐える覚悟のない者や、代償を支払う覚悟のない者は決してチャンスを掴むことは出来ない。

どんなチャンスであっても、それを掴むためには時間的代償、金銭的代償、肉体的代償、精神的代償、これらのうちのどれか、あるいは複数を代償として支払う必要がある。

前述のように、チャンスとはそのほとんどの場合、姿を隠していることが多い。

「これがチャンス」だとはっきりと分かるもので、成功が約束されているのであれば、少々の代償ぐらい、誰もが支払う覚悟を持てるけれど、そうではない。

代償を支払ってからでないと、チャンスは姿かたちを見せてくれることはないし、掴むことも出来ない。

それでも代償の前払いができる人がチャンスを掴む権利を獲得でき、代償の前払いが出来ない人はチャンスを掴む権利さえ獲得できない。

そもそも人間とは、本能的に苦痛を避けて快楽を得ようとする生き物。
チャンスかもしれない出来事が目の前にやってきたとしても、先に苦痛がやってくるから避けようとする人がほとんどだと思う。

これが、一部の人しかチャンスを掴むことが出来ず、運を味方につけられない最大の理由なのだと思う。

恐らくこの苦痛という代償を支払うことが出来るかどうかが、チャンスを掴むことが出来るかどうかの最大のポイントであると思う。

その覚悟がほんの少しでも足りなければ、先に説明したように、チャンスを目の前に躊躇してしまうことになり、幸運の女神の前髪を掴むことも出来なくなる。
そして、この覚悟がなければそもそも日ごろから努力することもなくなると思う。

ここまで説明してきたチャンスを掴むことが出来るか出来ないかの違いは、全てこの「代償を支払う覚悟があるかどうか」に通ずるものかもしれない。

まとめ

成功するためには運を味方につけることは絶対条件であり、これがないと成功は難しい。

そして運を味方につけるためにはチャンスを掴む必要があり、チャンスを掴むためには、まずチャンスは自分のもとにも来ると信じることが大切だと思う。
けれど、ただ信じて待っているだけではチャンスは来ない。
チャンスを掴みに行くという姿勢が大事であり、そのための努力を怠らないことが大切だと言える。

そしてチャンスが目の前に現れたとしても、チャンスを掴む準備をしていることが大事であり、少しでも躊躇してしまったり、遅れをとってしまえばチャンスはすぐに逃げる。
「幸運の女神には、前髪しかない。」のである。

そして最大のポイントは、チャンスを掴むための引き換えとして、苦痛という代償を支払うことが出来るかどうか。
チャンスは必ず苦痛と一緒にやってくる。
その苦痛に耐える覚悟のない者や、代償を支払う覚悟のない者は決してチャンスを掴むことは出来ない。
「この世は代償を必要としない報酬など存在しない。」のである。

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