知識は力なり。しかし、もっと重要なのは知識を目的達成のために転換する術である。

自己啓発

「知識は力なり」という言葉があります。
しかし、そうであれば、たくさん知識を持った人が一番力を持っていることになります。

例えば東大を卒業した人とか、博士号を取得した教授とか、何らかの専門家は力を持っていることになります。
しかし、それらの人が人生において誰よりも良い人生を送っているかと言うと、そうではないわけです。

知識は本当に力なのでしょうか。

結論から言うと、確かに知識は力です。
しかし、正確に言うと知識そのものが力を持っているのではなく、知識は力になり得るということです。

知識、それ単体だけでは力にはなりません。
どれだけ知識を詰め込んだとしても、それを活かせなければ何の意味も無いわけです。
つまり、その知識を富に転換する、あるいは目的を達成するために転換することが重要であるわけです。

ここを勘違いし、知識を詰め込んだり、資格を取ったり、ただ経験を積むことだけに目を向けるから、多くの才能を持った人がその才能を活かせないまま平凡な人生を送ってしまうことになります。
人一倍知識があり、人一倍才能に溢れ、人一倍努力家であったとしてもです。

知識は確かに大切ですが、それ以上に大切なのは、自分の力を目的達成のために転換する力です。

前述したように、どれだけ知識を詰め込んだとしても、それを活かせなければ何の意味もありません。
逆に、その転換の術を知っていれば、知識がなくても知識ある人の力を借りて目的を達成することも出来ます。

これは有名な話なのですが、自動車王と呼ばれたヘンリーフォードは、小学校もろくに卒業していないほどの無学だったそうです。
しかし、一般知識のないヘンリーフォードは自動車王とまで呼ばれるほど出世しました。
すると、有名人の性でありますが、マスコミがヘンリーフォードは無知であると叩き出したのです。
ヘンリーフォードはマスコミを名誉棄損で訴えました。
裁判の時、マスコミはいかにヘンリーフォードが無知な人間であるかを証明するために、学校で習うような歴史の問題などの一般常識で、ヘンリーフォードを質問攻めにしました。
当然、その類に関しては無知であるヘンリーフォードは答えることが出来ませんでした。
マスコミ側は鬼の首を取ったかのように勝ち誇りました。
法廷内でも笑いの渦が起こっていました。
その時、ヘンリーフォードは、
「このようなバカげた質問に何の意味があるのだろうか。私のデスクの上にはたくさんのボタンがある。その中の正しいボタンを押しさえすれば、私の必要としている知識を持った部下たちがすぐに飛んできてくれる。どうして私があなたの質問に答えるために一般知識を詰め込んでおく必要があるのか。」

この一言に、マスコミは沈黙し、法廷内もヘンリーフォードの正しさを理解したわけです。

まさにヘンリーフォードは知識を富に転換する、目的を達成するために転換する術を知っていたわけです。

その為に必要な知識は当然自分にもあったわけですが、それ以外の知識は人の力を借りるという術を知っていたのです。

知識は力になり得ることは揺るぎない事実ですが、そのために全てを詰め込んでいられるほど人生は長くありません。
それよりももっと重要なことは、知識を富、あるいは目的達成に転換する術を知ることです。
その術を考え続けることです。

この術を持っているかどうか、このことを考え続けているかどうかが人生を左右します。

東大を出るようなエリートが、時に中卒よりも人生で苦戦することがある原因はここにあります。

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