非は相手にあると攻め立てた瞬間に、私たちの原因追及の思考は停止する。

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自己啓発

この世の中は、犯人探しや悪者探しが主流となっていると思う。
悪者を探し、それを排除することで物事を解決しようとする節がある。

確かに、悪者がいなくなれば表面的な問題は解決するかもしれない。
けれど、世の中から全ての悪者が消えるわけではないし、その解決方法では根本的な解決にはならないと思う。

例えば、課長Aさんがオフィスのデスクの上に裸の100万円をポンと置いて、そのままオフィスを出たとする。
それを見つけた普段は真面目な平社員B君は、ほんの出来心でその100万円をふところにしまい込んでしまった。
結局そのことが社内でバレてしまい、平社員B君はクビになり、逮捕され、その後の人生を棒に振ってしまった。

では、この中で誰が悪いのか。
常識的に考えれば、答えは会社のお金、あるいは課長Aさんのお金を盗んだ平社員B君ということになる。
会社、あるいは課長Aさんは被害者ということになる。
けれど、これは法律的なもの、社会的なもの、モラル的なものの側面から見た答えだと思う。

違う側面から見れば、会社や課長Aさんは、平社員B君の人生を狂わせた張本人だと言える。

目の前に100万円がなければ、平社員B君も盗んだりはしなかったはず。
見かたによれば、真面目な平社員B君の人生を狂わせた原因を作ったのは会社や課長Aさんだということにもなる。

つまりこの場合、常識的に悪者とされる平社員B君を排除したところで、根本的な原因が解決されたとは言えない。
あくまで表面的な問題を、法律の下に解決させただけだと言える。

このように、悪者探しをすることは根本的な原因解決にならない場合が多々あると思う。
このままの会社の体制や課長Aさんの行動では、新たな平社員C君、D君が生まれてもおかしくない。
けれど多くの場合、悪者を見つけた瞬間、悪者を攻め立てることだけに注力し、さも問題が解決したかのように思い込み、本当の原因を見つけようとしなくなる。

この例は極端すぎるかもしれないけれど、少なくとも、必ず自分の方にも、わずかでも原因があると思った方がいいと思う。
その原因を探すことなく、悪者を探したり、非は相手にあると攻め立てた瞬間に、私たちの原因追及の思考は停止すると思った方がいい。

自分の会社で不正が起こるなら、その体制が悪いのだと考えるべきだと思う。
部下がなかなか思うように動いてくれないというのであれば、その仕事はその部下に合っているのか、そもそもその部下に任せるべき仕事なのか、自分の教え方は適切なのか、自分の中に原因を探すべきだと思う。

よく、部下のやる気がない、部下が無能だから出来ないという人がいるけれど、それは前述の悪者探しと何ら変わらないと思う。

非は相手にあると攻め立てた瞬間に、私たちの原因追及の思考は停止する。

以前に、
自己責任論という言葉が諸悪の根源なのかもしれない。自分が悪いと思う必要もないし、誰が悪いか探す必要もない。
という記事を書いたけれど、何も自分が悪いと思う必要はない。
けれど、自分の中に原因を探すことが出来ればそれを改善することが出来る。

悪者探しも時には必要だと思うけれど、根本的な原因を追究するためには、悪者を攻め立てることだけに注力せず、自分の中にある原因を探すことが大事だと思う。

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