どんな立場の人間であれ、やはり人は一人の人間として尊重されるべきであり、自由である。

哲学

「LIMOくらしとお金の経済メディア」にこんな記事がありました。

「嫁」と「妻」あなたはどちら派?女性のあり方を見つめなおす | LIMO | くらしとお金の経済メディア
「嫁」と「妻」、一見ほとんど同じ意味をもつように感じる2つの言葉。しかし、なかには「嫁」という言葉に違和感がある人もいるようです。その理由を探ると、「女性のあり方」にたどり着きました。そこで今回は、女性をめぐるさまざまな価値観について考えてみましょう。

嫁という言葉は家制度、つまり嫁は他人の家に嫁ぎ、夫や子、義両親に人生を捧げるというと印象を受けてしまう人もいて、抵抗や違和感を覚える方もいらっしゃるようです。
確かにそういう印象を受ける人もいるでしょう。

さらにこの記事で書かれているのは、「母親らしさ、妻らしさの重圧」という部分もポイントとして挙げており、一部引用させていただくと、

「結婚してからというもの、『女性は家のことをするべき』『夫の健康も気遣わなければならない』『夫に育児を手伝ってもらったら感謝すべき』といった価値観の押し付けを感じます。世間は、『良き妻』を強く求めているのだなと実感しました」

と述べられています。

このことに関して、私自身は女性であろうが男性であろうが、性別は関係なく一人の人間として尊重されるべきであり、自由であるべきであると思ってはいるものの、確かに知らず知らずのうちに常識に洗脳され、良き妻であることを褒めたり、良き母親であることを褒めたり、そういう部分を尊敬したりしているかもしれません。

一見それは労をねぎらってかけている言葉に聞こえるし、私自身もそういうつもりで声をかけたりしますが、言われている本人にとっては重圧に感じてしまうものなのかもしれません。

知らず知らずのうちに、人は誰かを傷つけたりするとよく言いますが、本当に何の気なしに傷つけたり、重圧やプレッシャーを与えてしまったり、はたまた誰かの方向性を決めてしまう言葉を放ったりしているのかもしれません。

そう思うと、少しゾッとしました。

以前このブログでも書きましたが、この人はこういう所が長所であるとか、こういう所が素晴らしいと褒めているうちに、その人は知らず知らずのうちに重圧を感じ、そうあるべきだ、そういう自分がいいのだと感じてしまい、本来の自分とは違う自分を演じてしまうということがあります。

性格ってなんだろう?妻と話していて思ったこと。

この記事を読んで、どうすれば正解なのかはまだ分かりませんが、やはり女性だろうが男性だろうが、どんな性格であろうが、一人の人間として尊重し、その人をこちら側が決定づけるのではなく、理解することが大切なのだと思います。

そのためには、やはりその人の言葉に耳を傾けること。
また、その人のことをよく観察することが大切なのだと思います。

だから、口が一つで耳が二つあるのは人の話をよく聴くためだと言われるように、普段から発信するよりも受け取ることに重きを置く必要があるのではないかと思うわけです。

そしてこの記事の後半には、「母親らしさ」「妻らしさ」も持つ必要がありますが、自分らしさを持つことも重要という風に記載されています。

これも全くその通りだと私は感じており、受け取る側の問題もありますが、
そもそも自分自身が自分らしさを見失わないことが大切だと言えるでしょう。

受け取る側も母親である前に、妻である前に、一人の人間だと尊重する必要がありますが、その人自身も自分らしさを理解しておく必要があります。

そこに自分らしさが無いのであれば、周りもなかなかあなたを一人の人間として尊重することは難しいでしょう。

どんな立場の人間であれ、やはり人は一人の人間として尊重されるべきであり、自由である。

そのことを理解しておくことが、どちらの立場に立った時も、人を理解することの出来る重要な考え方なのだと私は思います。

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