人の役に立ちたいなら、まず役に立つための能力と余裕を持つ必要がある。

自己啓発

成功したければ、人のためになることをしなさい、とよく言われる。
けれど、自分の人生を生きるだけでも精いっぱいなのに、人のために何かをしているほど余裕はないという人も多いはず。
そんな状況で人のためにと言われても、ちょっと無理があるかもしれない。

もちろん、人のためになることをするのは大事。
けれど、自分を犠牲にしてばかりいるのはちょっと違うと思う。
また、望まれてもいないことをするのもちょっと違うかもしれない。

例えば、溺れている人を助けようとして、自分も溺れてしまうことがある。
溺れている人を助けるためには、やっぱり助けるための力が必要となる。
その力がないうちから人のためにばかり動いていれば、いつか自分が溺れて死んでしまう。
助けられた方も、助かったと思ったのに、一緒に溺れられたらたまったものじゃない。

人のためになることをするのはとても大事なことだし、素晴らしいことだけれど、そのためにはまず自分自身が人を助けられるほどの力を持つことが重要になってくると思う。

スティーブン・R・コヴィー氏の有名な著書、「7つの習慣」では、公的成功は私的成功の上に成り立つものであると書かれている。
つまり、自分自身が人格やスキルなどを磨き、私的成功を収めることで、はじめて公的成功、つまり人に影響を与えることの出来る人間になれるということ。

人のためになることをしたいのであれば、まず自分自身がその器の人間にならなければならない。
それを飛ばして人のためになることをするというのは、自分をただ犠牲にしていることにもなり、本当の意味では、相手のためにもならないかもしれない。

また、私が何とかしてあげなければ、守ってあげなければ、幸せにしてあげなければ、と思う人がいるけれど、それは本当に相手が望んでいることなのか、考える必要があるかもしれない。
もし望まれていないのであれば、ただのお節介になっているかもしれない。
もしかすると、相手は自分自身で生きていく、相手の重荷にだけはなりたくない、自分で解決したい、自立したい、という風に望んでいるかもしれない。
そんな時に、私がやってあげる、私が解決してあげる、私が面倒を見てあげると言われても、少々困るかもしれない。
また、もしそれを相手も望んでいたとしても、子供を甘やかす親のようになってはいけないと思う。

そのような手助けをするよりも、相手が本当に困ってしまって、それこそ溺れてしまうような状況になった時に、確実に助けられる器を持っておく方がよほどいいと思う。
相手が本当に手助けを求めているときに助けられないことほど、お互いにむなしいことはないと思う。

人のためになることをすることは大事だけれど、あれもこれもやるよりも、本当に必要な時に確実に相手のためになれるように、自分自身を磨くことが大事だと思うし、金銭的にも時間的にも、人格的にも社会的にも、自分自身がある程度の成功を収めておくことで、余裕を持っておくこともまた大事だと思う。

自分の家が火事になっているのに、人の家の火事の消火に協力出来る人は居ない。
人の家が火事になっているときに協力できるのは、大前提として自分の家が火事でない時だけだと思う。

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