人を見下してしまうのは性格のせいじゃない。その本質的な理由とは。

哲学

キャリコネニュースの記事より。

「人を見下す性格を治したい」という悩み、どうすればいい? 「まずは自分と仲良くしてくれる人を大事に」という声も
他人を見下す性格を治すためには? 僕は他人を見下したことがないのでよく分からないんだけど、世間には人様をついつい見下してしまう人がいるようだ。全く困った連中だ。 と、軽く他人を見下してみたところで、早速本題だ。人を見下すような人間が、その曲がった性根をまっすぐにすることはできるだろうか? 性格の悪い僕としても、これにつ...

人を見下す性格を治したい、という記事があがっていました。

この投稿をあげた人は、口には出さないけれども、昔から人を見下す癖があったそうです。
そしてその自分の性格が嫌いだそうです。
この性格を治すにはどうしたらいいかと意見を募ったそうです。

すると、
「自分で気づいているだけマシ」
「みんな心の中は同じ」
など、意外にも投稿者を励ます意見が多かったそうです。
または真剣にアドバイスをしてくれる人も多かったそうです。
詳しくはキャリコネニュースの記事をご覧いただきたいのですが、面白いものです。
それだけ人を見下す人が多いということなのかもしれないですね。

色々意見はありますが、私個人的な意見を言わせてもらえば、この投稿者に限らず、人が人を見下すのは仕方ないのかもしれません。
もちろん、見下さないに越したことはないわけですが、大抵の人は人を見下すことがあるのではないでしょうか。

人が人を見下してしまう理由はすごく簡単で、性格が悪いとか馬鹿にしているとかではなく、本質的な原因は人と自分を比較してしまうからです。
比較するということは、必ずどちらかが上で、どちらかが下という、勝手な優劣をつけてしまうわけです。

また、人によっては自分を過大評価する人もいるでしょうし、他人を過小評価する人もいます。
また、仮にある人が自分より優れていると思ったとしても、必ず自分より劣っている人も探すわけです。
しかし、それも自分が勝手に作り上げた評価基準で優劣をつけているにすぎません。
そのような比較は全く意味をなさないわけです。

またこのような比較によって、人を見下すことに限らず、自分が他人より劣っていると感じることもあまりよくありません。
そのような勝手な思い込みのせいで、自分の自尊心を傷つけたり、視野を狭めたり、可能性を失ったりするわけです。
つまり、今回の人を見下す癖を治すにはどうしたらよいかとう問題は、本質的には自分と他人を比較するという部分が問題であると言えます。

時には比較して自分を奮い立たせることも大切ですが、基本的には自分の勝手な評価基準で人に優劣をつけても無意味であるわけです。

そして人と自分を比べてしまう理由は、自分に明確な目標や将来のビジョン、自分のあるべき姿など、あるいは自分の核となるものや方向性、羅針盤のようなものが無いからです。
そういうものが自分の中にしっかりあれば、その羅針盤だけを見ていればいいわけです。
それだけを見て、自分の方向性を確かめたり、進む道を自分のペースで歩んで行けばいいわけです。
しかし、そういうものが無いから、他人という物差しを使って自分の現在地を確かめようとするわけです。

しかし、前述したようにその物差しは自分の勝手な評価基準で作り出された物差しであり、全く正しいものではありません。
つまり、人と比較することはとても無駄なことであるわけです。

今回の人を見下す癖を治すにはどうしたらよいかとう問題に対する結論としては、まず人と比較することをやめる必要があります。
しかしそれは簡単ではありません。
だから、人と比較することをやめるためには、自分の中に明確な目標なり基準なりを持つことが必要になるということです。

人を見下してしまうというのは、その人の性格も多少関係はあるものの、そこは本質的な部分ではないわけです。
もし人を見下す癖がある、あるいは人と比較してしまう癖がある人は、自分の中に羅針盤があるかどうか、その羅針盤は明確に方向性を示してくれているかどうか、一度見直してみてもいいかもしれません。

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