私が野球を通して学んだこと。本気で打ち込まなければ見えない世界が必ずある。

自己啓発

今までの人生の中で、これだけは本気で頑張った、と言えることがあるだろうか。
あるとしたら、それに対してどれぐらいの情熱と時間と努力を注いできただろうか。
そして、それと比べて、今の自分はどうだろうか。
きっと、半分ぐらいの人は、人生の中で本気で頑張ったことが一つ二つあると思う。
けれど、その時と同じぐらい、今も物事に対して頑張り続けているという人は少数だと思う。
学校の勉強で、こんなことをやっても将来役に立たないとか、意味がないとか言って勉強をしてこなかったのと同じように、社会人になっても、こんな会社で働いていても意味がないとか、こんな仕事は適当にやっておけばいいとか。
社会人になるとなかなか本気になることが少なくなる。
けれど、本気でやってみないと、それに本当に意味がないのか、実はとても自分にとって重要なことなのかは分からないと思う。
一生懸命、本気でやるから見えてくる本質の部分というものがあると思う。
そうした結果、意味がない、やる必要がない、面白くないと思うのであれば、それはそれでいいと思うけれど、物事に対して本気でやる前に判断してしまうのはちょっと違うと思う。

よく、就職したなら3年は我慢しなければ、面白さは分からないと言うけれど、それは嘘だと思う。
1年だろうが3年だろうが5年だろうが10年だろうが、我慢する年月はどうでもよくて、その会社、その仕事に対してどれだけ本気になれるかどうかが重要だと思う。
面白くないと決めつけて仕事をしても、やっぱり面白くない。
けれど、本気でやってみれば、今まで見えてこなかった本質の部分に気づくことが出来る。
その本質の部分が見えるからこそ、正しい判断が出来るのだと思う。
逆に、本気でやらなければ、面白いのか面白くないのか、あるいはそれが自分に向いているのか向いていないのかが分からないまま、それこそ何年も年月が経過してしまうかもしれない。

つまり、本気でやるからこそ正しい判断が出来、本気でやるからこそ、早くそれが無駄なことだと気づくということもある。

申し訳ないけれど、ここから先は私の長い経験談と昔話になる。
付き合ってくれる人はぜひお付き合いいただきたいけれど、面倒な人は最後の方の文面だけでも見てもらえればありがたい。

私が人生で一番本気になったことは間違いなく野球だと言える。
今となってはただの昔話になってしまうけれど、小学校1年生から始めた野球が、長期にわたって本気だった。
それこそ、雨が降ろうが雪が降ろうが、野球の練習、トレーニングは欠かさなかったし、寝てるとき以外はほとんど野球のことを考えていたし、本気でプロ野球選手になれるものだと思っていた。
実際、練習量に比例して、どんどん上手くなっていくし、少なくとも学校内では一番上手かった。
小学校の頃のソフトボール投げ(遠投)では、小さな田舎の小学校だったということもあるけれど、運動場の端から端まで投げ、校舎に当たって測定不能。
約60mという記録になった。

そんな私も中学になり、満を持して野球部に入部。
ちなみに、小学生の頃はリトルリーグに入らなかったし、中学でもシニアリーグにも入らなかった。
それは、このブログを普段読んでくれている人ならわかると思うれけれど、我が家は貧乏だったから。
けれど、そんなことは関係なく、私は中学の野球部でもプロになれると思っていた。
ちなみに、後で大事になってくるんだけれど、中学に入って初めて球速を測った時、119km/hだった。

その後も私の本気度は変わらず、野球に情熱を注ぎ続けてきたけれど、私の中で決定的な出来事が起こった。
中学の先輩で、シニアリーグに通っている人が、どうも私を気に入ってくれ、頻繁にキャッチボールをするようになった。
やっぱりシニアリーグに入っている先輩は凄かった。
その人はキャッチャーだったんだけれど、恐らく球速は120km/h以上、130km/h未満ぐらいの球を投げる。
さすがシニアリーグでキャッチャーを務めるだけのことはある、強肩キャッチャーなんだなと思っていた。
けれど、後日ほかのシニアリーグに入っている人から聞くと、その人はどうやら補欠らしい。
そしてその人はそんなに上手くないと言っていた。
レギュラーでもなく、シニアリーグでは下手な部類に入る人が、こんなに凄いなんて、と挫折を味わった。

それと同時に、実は自分の能力の限界を感じていた。

球速だけで言えば、中学1年生になりたての時に119km/hをマークしていたのに、中学2年生か3年生のころ、最後に投げた球速はMAX125km/hだった。
2~3年情熱を注げて頑張ったけれど、6キロしか球速が増していない。

それでも、球速はかなり早かった方だし、打者としても通算打率が6割近くあった。
そのまま野球を続けていても、それなりに上手いと言われる部類で楽しく野球はできたんだと思うけれど、私は野球をやめることを選択した。
野球で飯を食っていけないなら意味がないと思っていたから。
逃げたんだとか、努力が足りないと言われるかもしれないけれど、私の中で明確に分かったことがある。

限界なんだということ。

この時に、私の脳裏の中でよぎった言葉が、元メジャーリーガーの松井秀喜選手の言葉。

何かの雑誌のインタビューに答えていて、相当前の記事なのではっきりとは覚えていないけれど、私はホームランバッターになりたいんですが、どうしたらホームランバッターになれますか?とか、松井選手はなぜホームランバッターになったんですか?という類いの質問に答えていた記事だと思う。

それに対しての答えが、
「野球をやっているといずれ自分がホームランバッターなのか、そうではないのか気づく時が来る。」
というものだった。

本気でスポーツをやっていた人なら分かってくれる感覚かもしれないけれど、要するに自分がいくらホームランバッターになりたくても、どうしてもそうなれないと気づく時が来る。
私も元々はホームランバッターを目指していたけれど、中学の始めの方に自分はホームランバッターではないと気づいた。
速球派のピッチャーになりたいと思ったこともあるけれど、私の当時の球速と、その伸び方からするとそこにも限界があると気づいた。
それでも野球をやり続けていたわけだけど、素人としてそれなりにやっていけるレベルかもしれないけれど、少なくともプロにはなれない。

その時は、頑張ったらどうにかなるとか、努力さえすれば何事も成し遂げられると思っていたし、今でもその気持ちは変わらない。
けれど、野球に関しては感覚的な部分だけれど、確信があった。
今でも、もしかしたらどうにかなっていたかもしれない、なんてことも思わない。
その時にハッキリと確信し、分かったから。

ということで、だいぶ長いこと私の昔話になってしまったけれど、
要するに、本気でやったからこそ、その感覚的な部分に気づいたんだと思う。
もし本気でなければ、その感覚的な境地にたどり着いていなかったんじゃないかなと思う。

よく、夢を描きながら中途半端に頑張っている人がいる。
けれど、それではほかのことをないがしろにする言い訳になっているかもしれないし、本当のところ、自分が本気でその夢を手に入れたいのか、本当にそれに向いているのかも分からないと思う。
そしてその結論を出すまでに相当な時間を費やすことになると思う。

そうであれば、やっぱり何事に関しても本気にならなければならないと思う。
本気にならないと見えてこない世界が必ずある。

これは本当にそれが好きなのか、自分に向いているのかが分かるということはもちろん、ダメだということに早く気づくということにも繋がる。

ダラダラとやっていてもいいことなんて何一つない。
これは私の経験上、間違いないと言える。

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