堀江貴文さんの「不満を垂れ流す人に言いたいこと」から学ぶこと。私たちは他人に依存して生きる存在ではなく、自立した存在である。

自己啓発

東洋経済の記事にて。

堀江貴文「不満を垂れ流す人に言いたいこと」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル
以前の僕は「ストレスがたまる」という感覚がよくわからなかった。生きていれば、不愉快な人間には出くわすから、そのときそのときで不快感は抱くし、面と向かってその人を罵倒することもある。ただ、その場で発散…

堀江貴文さんの「不満を垂れ流す人に言いたいこと」という記事が掲載されていました。

堀江さんの著書、「時間革命」から一部を抜粋・再構成して書かれた記事のようです。

この記事の中で、
とくにみっともないのは、ストレスを感じているのに、不平を垂れ流しながら、現状に甘んじている人だ。
と書かれています。

そしてそれをこのように例えています。

あなたは川に浮かびながら、誰かが食い荒らした「残飯」を手にして、「こんなマズい食べ物はない!なんだこれは!」と文句を言っている。だったら、そんなものは捨ててしまえばいいのに、それでもその「残飯」を後生大事に持っているのだ。

と表現されています。

これは上手く表現されているなと感じますし、私はこのことは真理だと思います。

会社や上司、妻や夫、世間や環境に不満を感じ、愚痴ばかりを漏らす人はたくさんいます。

堀江さんが言うには、このような人が、「堀江さん、この『残飯』ってすごくマズいんですよ。ひどくないですか?」と言ってくるそうです。

このような人たちは、何者かに依存している状態だと言えます。

あの人が何もしてくれないから、会社が何もしてくれないから、私はこんな目に合っている、と言っているわけです。

それってやっぱりおかしくないですか?

そこに不満があるのであれば、その残飯を捨てるべき、つまり自ら行動して残飯ではないものを手に入れに行くべきであるということです。

会社や上司に不満があるなら自ら行動してその環境を変えればいい。
何事も自ら努力して改善していけばいいわけです。
しかしそうしようとはしない。
なぜなら、そうできない理由がたくさんあるからです。
それならば、やはり不平不満を言うべきではないと私は思います。
そうできないというのであれば、その環境を自ら受け入れているからです。
結局、トータル色々なことを考えて、今の環境が得策だと自ら選んでいるからです。

「いや、そうではない、私の場合は違うのだ。」

という人もたくさんいらっしゃるでしょうが、それならばなおさら不満を言うべき立場ではないということです。
本当にそうではないのかもしれないし、出来ない理由があるのかもしれません。
しかし、理由はどうあれ、結局はその環境で働かせてもらい、収入を得ているわけですから、感謝はしても、不満を漏らすのはちょっと違うのではないかと思うわけです。

リスクを冒すことを嫌い、それでも今は最悪だから良い環境を求めるというのは誰もが思うことかもしれません。
それならば、不平不満を言う前に、出来る限りのことをやってみるべきです。

本当に色々な理由でその職場を退職することが出来ないのであれば、不平不満を言うのではなく、どうすればその職場の中で環境を良くできるのか、収入を上げることが出来るのか、貢献することが出来るのか、それをひたすら考える必要があります。
それでもどうしても不満があるのであれば、その不満は愚痴という形ではなく、意見という形で伝えるべきです。

それでもどうしてもダメなら、そこに居てはいけないということが分かります。

戦うのも勇気、逃げるのも勇気であるわけです。

要するに、戦いも逃げもせずにただただそこにじっとしているうちは、流れてくるのは残飯だけであり、それに対して不満を言う資格はないということです。

以前に、
12年勤務して手取14万円「日本終わってますよね?」を堀江貴文がバッサリ切る!私も便乗して意見を書いてみました。
という記事を書きました。

この記事も堀江さんのツイートを題材にした記事ですが、堀江さんのおっしゃることには一貫性があり、簡単に言うと何もしていないのに周りのせいにするなということです。

こう言うと、
「そうは言ってもどうしようもないことがある、私は頑張っているのだ。」
という人もいらっしゃるかもしれません。

そうです、確かに頑張っているのだと思います。
人は誰もが頑張って生きていることだと思います。

しかし、今の環境に不満があり、頑張っても変わらないのであれば、その頑張り方に問題があるのでは?
と疑問を自分にぶつけてみる必要があります。

頑張っているのに報われないから他人や環境のせいだと言ってしまった時点で、自分は他人や環境が変わってくれなければ何も出来ないと宣言してしまったことになり、それこそが何者かに依存している状態であるということです。

私たちはもっともっと出来る人間であり、誰かが何かしてくれないと自らを改善できないような、そんな弱い人間ではないはずです。

私たち人間は、誰もがやれば出来る人間であるはずです。

しかし、多くの人はやろうとしないだけであり、不満がありながらも、目も耳も口もふさいで、今の状況にただじっとしているだけなのではないかと私は思うわけです。

誰もが頑張っているのは百も承知。

ただ、状況が変わるまで頑張り続けることの出来る人が少ないのです。

結局は心の奥底で、限界だとか、自分には出来ないとかいう弱い気持ちに襲われているだけなのだと思います。

私たちは他人に依存して生きる存在ではなく、自らが望むようにいくらでも人生を変えることのできる自立した存在であるということを忘れないで欲しいと思います。

そのように思える人は、決して愚痴をこぼしたりしないことでしょう。

なぜなら、他人に何かしてもらわなくても、環境が変わってくれなくても、自ら道を切り拓いていくことが出来ることを知っているわけですから。

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