物事の結果には必ず原因があります。
この法則を因果の法則と呼びます。
以前に、
農業に学ぶ因果の法則。種まきなしにいきなり成功はありえない。
という記事をあげました。
もし今上手くいっているなら、過去の種まきが実ったということであり、もし上手くいっていないのであれば、種まきが実らなかったということです。
結果には必ず原因があるわけです。
よく、なぜ私ばかりこんな目にあるのだろうとか、私はついていないとか、あの人がしっかりしてくれていればというような言葉を聞きますが、これらも全て、因果の法則で説明がつきます。
お金が無いとか環境が悪いというような理由をつける人も居ますが、それらの状況を作り出したのもさかのぼれば他でもない自分であるわけです。
人は誰もが、もっと境遇が良ければと思ってしまいがちですが、その境遇にいないのも、過去の自分が選択したことであるわけです。
凄い人を目の当たりにした時や、誰かが成功した時、人の反応は二つに分かれるものです。
一つ目の反応は、心から祝福したり、凄いと思って自分も頑張ろうという風に感じたりという反応です。
そしてもう一つ目の反応は、今だけだろうとか、いずれ失敗するとか、自分には関係のない話だと思ったりして、そのことを自分から遠ざけたり、否定したりする反応です。
この後者の反応こそが、結果が出ない人の反応です。
人にはプライドや自己防衛本能というものがあり、凄い人を凄いと認めたりすると、自分を否定することになりかねないので、自分の心を傷つけないように、そのことを自分から遠ざけたり、否定したりしてしまうわけです。
しかし当然ですが、そのような反応では自分は何一つ進歩しません。
本心では羨ましいとか、凄いと思っているにもかかわらず、自分の心の安定を求めるばかりにそのことを遠ざけているわけですから。
実はこのプライドや自己防衛本能というものが、人の成長を邪魔しているわけです。
必要なものは素直な心であり、凄いものは凄いと思うことです。
上には上がいると素直に認めることであり、自分はまだまだであると認めることであります。
そのような姿勢でいるからこそ、人は成長できるわけであり、次のステージに上ることができるわけです。
しかし、否定したり、そのことを認めず遠ざけたりしていては、成長はなく、今の環境から脱することは出来ません。
つまり、今の環境を脱するかどうかも自分次第であり、やはり今の自分を作り出しているのは自分であるということです。
今環境が悪いのも、今お金が無いのも、今人脈が無いのも過去の自分が導き出した結果であるというわけです。
その種まきをしなかったことに目を向けずに、状況が悪いと言っても何もなりません。
このことに対しても、どのような態度で、どのような反応をするかによって未来が変わります。
そんなことはない、仕方なかったんだ、私の場合は違うんだ、本当に運が無かったのだ、と思うのか、
今からでも遅くない、私も少しずつでも種まきをしていこうと思うのかでは大きく未来が変わります。
とは言え、私は今のままで十分、そんな成功は望んでいないというのであれば、それはそれでいいと思います。
人それぞれの考え方があり、望むものも違います。
しかし、本当は変わりたいのに、やはり自己防衛のために無意識にそのように思う人もいます。
なので、この質問に答えてみてほしいのですが、
「10年後、20年後も、不満を述べたり後悔したりしないですか?」
今のままでいいと言うのであれば、今後、環境のせいや周りのせいにしてはいけません。
それでいいと選択したのは自分自身であるわけですから。
結論を言うと、否定するべきは環境でも周りの人でもなく、自分を否定するべきであるということです。
今の自分を否定し、全ての責任を自分で背負うことが、未来の自分を大きく変える方法であるというわけです。
もし質問の答えが、10年後、20年後、不満を述べていそうと思うのであれば、10年後、20年後にはその環境でいないように、今から種まきをする必要があるということです。
それが自分の本心であるということです。
環境を変えるための種まきなしに、突如環境が変わることはありません。
何事も種まきが必要なわけです。
今からでも、しっかり種まきをしておけば、いつか環境を脱するという実が実るわけです。
そこでとどまらず、さらに種をまくことで、新たな実が実るわけです。
農業で言えば、田畑を耕し、種をまき、実を実らせる。
そして田畑を広げ、また耕し種をまき、実を実らせる。
また田畑を広げ、種をまき、実を実らせる。
結局は、その連続でしかないわけです。
だからこそ、初めの反応が大事であり、私の田畑ではその実は実らないと考えるのか、その実を実らせるためにまずは田畑を耕し、種をまこうと考えるのか。
全てはこの差ではないかと私は思うわけです。
コメント