自分の人生の責任はすべて自分にある。

自己啓発

自分の人生の責任はすべて自分にある。
よくこのように言われますが、この言葉を完全に受け入れることの出来る人はどれぐらいいるでしょうか。
そもそもこの言葉は本当なのでしょうか。
ただのキレイごとに過ぎないのではないか。
そのように思う人もたくさんいらっしゃると思います。

世の中を見れば、やはり顔も良くてスタイルも良くて、お金持ちで友達も多く、与えられた環境も良くて、何もかも持っているかのように見える人もいます。
逆に、顔もスタイルもあまり良いとは言えず、お金もなく友達も少なく、与えられた環境も悪く、何も持っていないように思える人もいます。

これらの持って生まれたものや環境、条件の違いさえ自己責任と本当に言えるでしょうか。
私はこの条件に関しては、自己責任だとは言えないと思っています。
そこについてまで自己責任だと言うのは、あまりにも酷なのではないかと思います。
そのようなことまで自己責任だと言ってしまうばかりに、腐ってしまう人も多くいるのではないかと思います。
得意なこと、苦手なこと、容姿の違い、能力の違い、環境の違いなど、それらに違いがあるのは当然のことであります。

では、人生は自己責任ではなく、生まれ持った条件や環境に決定づけられるものなのかというと、それはそうではないと思います。
それぞれ条件が違うことは百も承知ですが、それでもやはり自分の人生の責任はすべて自分にあると私は思っています。

前述したように、条件が違うことは当然のことであるわけです。
そうであれば、目を向けるべきことはそこではないわけです。
つまり、自分ではどうしようもないものによって決定づけられたものに目を向けても仕方が無いわけです。

確かに条件に違いはある、しかしその中でどのような態度をとるかは自分で決定することができ、その決定こそが大事であるというわけです。

実は条件や起こる出来事というのは、直接的にその人を苦しめる原因にはなりません。
その人が条件や出来事をどのように受け止めるか次第で、それが持つ意味が全く変わってきます。

例えば、夢に向かって頑張っているあなたを中傷してくる人が居たとしましょう。
その言葉に傷つき、悲しみや空しさを覚え、意気消沈してしまうのか、逆にその言葉に反発し、その夢に向かう起爆剤としてさらに邁進するのか、受け止め方で次の行動も全く変わってくるわけです。
出来事だけを見れば、中傷してくる人が居るというだけのことであり、全く同じ出来事です。
それでもこのように全く違う結果を生み出すのは、その人がどのように受け止め、どのように決定するかの違いだと言えるわけです。

持って生まれたものや環境、条件もこれと同じことが言えます。
本当に大切なのは条件や環境それ自体ではなく、それをどのように受け止めるかであるわけです。

貧乏家庭に生まれた人ほど富豪になるとよく言われるように、確かに条件や環境の違いはあれど、決して乗り越えられないものではないということです。

第32代アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトの夫人、エレノア・ルーズベルト氏はこのように言っています。

あなたの許可なくして、誰も、あなたを傷つけることはできない。

つまり、あなたを中傷してくる人が居たとしても、それをどのように受け止めるか次第であなたは傷つくことも傷つかないことも出来るわけです。

実は、本当にあなたを苦しめているのは周りの人や環境、生まれ持った条件などではなく、それを不幸なことであると受け入れてしまったあなた自身であると言うわけです。

自分自身がその事について、哀れだと受け入れた瞬間に不幸になるわけです。
しかし、これは一時的なことであるとか、将来のための試練であるという風に考えることが出来たなら、それは不幸なことであるどころか、プラスのエネルギーにさえ変えることが出来るかもしれないわけです。

いつもお気楽で能天気な人の事を、「おめでたいやつだ」と言いますが、時にはそのような人の受け止め方を見習うべきだとも言えます。
それも上手な受け止め方の一つであると言えるわけです。

生まれ持った環境や条件自体が自己責任だとは思いませんが、しかしそれらは決して乗り越えられないものではありません。
そしてそれらの受け止め方、そして次の行動が人生を左右するわけですから、やはり自分の人生の責任はすべて自分にあると言えるでしょう。

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