自分の価値観、自分の物差しで人を測ってはいけない。その物差しが正しい根拠はどこにもない。

教育

発言小町で、
「中学生の出来の悪い息子を受け入れられない」
というトピックが立っていました。

中学生の出来の悪い息子を受け入れられない | 家族・友人・人間関係 | 発言小町
息子の問題ではなく、私の心の持ちようだということは分かっていることなのですが。私は子どものころから努力し、進学高に進み国立大学にいきました。夫も同じようにすすみ、難関の国立大学を出て一部上場企業に勤めております。息子には小さいころから、手をかけて勉強させてきました。時間も手間もお金もかけてきました。でも出来が悪いし、要...

トピ主様もトピ主様の旦那様も子どものころから努力し、進学高に進み国立大学を出たエリートさんで、旦那様に関してはそのまま一部上場企業に勤められているそうです。
そんなトピ主様は、息子さんにも小さいころから手をかけて勉強させ、時間も手間もお金もかけてきたそうですが、出来が悪いし、要領も悪いということでがっかりしているそうです。
ご主人様はもう放っておけと言われているそうですが、どうしてもトピ主様は苦しいそうです。
そして今は早く家を出て行ってほしい、無関係に生きたいとまで思っているようです。

子育ては難しいですね。

トピ主様も子供の事を想って一生懸命になっているのに、その期待に応えてくれない息子さんを見て嫌気がさしているのだと思います。
しかし、それはトピ主様の目線から見た息子さんであり、息子さんにすればその期待はただの重圧になっている可能性があります。

子供に限らず、人は押し付けられたものに反発する性質を持っています。
だから、小さいころから勉強しなさいと言われ続けてきた子供は勉強嫌いになるとよく言われます。
また、勉強だけでなく、子供が望んでもいないスポーツ、習い事などをやらせても、やはり子供は拒絶したり、長続きしなかったりすることはよくあります。

しかし、例えば親がバイク好きで、子供には危ないから乗ってほしくないと思っていたとします。
その親は子供に、危ないからバイクには絶対に乗らないようにと口を酸っぱくして言っていたとします。
しかし、親が楽しそうにバイクに乗っている姿を見れば、子供はバイクに乗りたくなる可能性が非常に高くなります。
楽しそうにバイクに乗っている親を見て、興味が湧くからです。
つまり、勉強しなさいという押し付けをされても、スポーツや習い事をさせられても、子供が興味を持っていなければやっぱり拒絶するわけです。
しかし、自分が興味を持ったことに対しては、子供は何とかしてやろうとするものです。
いくら親に勉強することが大切とか、スポーツをやりなさいとか、何らかの習い事をしなさいと言われても、子供にはその魅力が分からないし、その必要性も分からないから、興味が湧かないわけです。

子供に限らず、興味がない人にそれを無理やりやらせるのは価値観の押し付けであると言えます。
そう考えれば一目瞭然ですが、何かをさせようと思った時にやりたがらなかったり、出来なかったり、反発するようなことがあれば、それはやらせた側、この場合だと親の方に原因があるはずです。

今回のトピ主様の場合で考えられる原因をあげるとするならば、まず前述したように価値観の押し付けがあげられます。

確かに勉強することは大切なことだと私も思います。
しかし、いい大学に入り、いい会社に入ることが全てでもありません。
そもそもトピ主様の頃と今とでは時代は変わっています。
勉強していい大学に入って、いい会社に入ることが幸せで安泰ではなくなったわけです。

そしてそれに付随する原因として、トピ主様の視野の狭さがあげられます。
つまり、自分がたどってきた道こそが正しいと思い込んでいて、自分が見てきた世界こそが全てだと思い込んでいるわけです。
要するに、自分で見てきた、自分が歩んできた世界しか受け入れられないわけです。
だから、それに反発するような息子を出来の悪い息子だと思ってしまうわけです。
勉強が出来るか出来ないかという世界だけで見れば、確かに出来が悪いのかもしれませんが、例え血のつながった息子であったとしても、人の価値をそんな偏ったものしか測れない物差しで測ることに問題があります。

つまり、息子さんよりもその物差しが悪いし、人を自分のゴリゴリに凝り固まった狭い価値観だけで作った物差しで測ろうとすること自体が間違っているわけです。

そして最後にあげるとすれば、トピ主様は典型的な子離れが出来ない親であるということです。

トピックの最後には、「はやく家を出て行ってほしい、無関係に生きたいとまで思います。」
と書かれていますが、そこまで関係を断ちたいのであれば、なぜ口やかましく勉強することを押し付けるのか、そこに矛盾を感じます。
つまり、関係を断ちたいと言いつつ、子離れ出来ないでいるわけです。

自分は子供にこうあってほしいと思って勉強を押し付けるわけですが、そうでない息子にはがっかりして早く出ていってほしいという身勝手な考え方です。
そんなに関係を切りたいのであれば、好きなようにやらせてあげればいい。
でもそれが出来ないという事が、子離れが出来ていないという何よりの証拠です。

とは言うものの、確かに子供の教育は正解がないだけに難しいものです。

しかし、子供が悪いと思ってしまえば、親の器量はそこまでです。
子供を見捨てるような発言をするという事は、自分の親としての器量がそこまでだと宣言したようなものです。
これは子育てに限らず、ビジネスの世界でも、どんな世界でも同じです。

「7つの習慣」の著者として有名なスティーブン・R・コヴィー博士の言葉にこんな言葉があります。

問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である。

つまり、私はこんなにやってあげているのに息子の出来が悪いとか、私の言う事を理解できないやつが悪いと思うこと自体が問題であり、どんな状況であっても自分に問題も必ず問題がある、あるいは必ずまだ出来ることがあるということです。

ハッキリ言って人を変えることは出来ません。
しかし、人が変われるように手助けすることはいくらでも出来るわけです。

もし何かの問題にぶち当たった時は、相手に問題があると思う前に、自分に問題はなかっただろうか、自分にまだ出来ることはないだろうかと考えるべきです。
そうでなければ、自分の思い通りにならない人は全て悪い人になります。

特に親ならば、どんなことがあっても子供を見放したりしてはいけません。
どこまでも子供のために無条件の愛を注ぎ、自分には何が出来るのか、自分に足りないものは何なのか、子供は何を求めているのかを追及してあげるべきだと私は思います。

他人のように、あいつは言っても分からない、ではダメでしょう。
それが親の器量であり、子供を愛するという事だと思います。
今回のトピ主様には、そのあたりの部分が欠けていたのではないかなと思います。

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