何事も自己責任、その覚悟が自由を生む。

哲学

今の世の中、仕事や学校生活に疲れ果て、精神的な病を患ったり、鬱になったり、自殺をする人がたくさんいらっしゃいます。
それは決してその人たちが弱いからとか、根性が無いからということではありません。

私自身、精神的な病を患ったこともありますし、その病は今も完治していませんし、今後も完治することはなく、一生付き合っていくのだろうという覚悟も持っています。

私自身は仕事でストレスを抱え、発病してしまったのですが、今思うとそんなに無理して働く必要は無かったと思います。
転職することだって出来たはずですし、当時は極貧生活をしていましたが、それでも、今振り返っても、生活なんてものはなんとなっただろうなと思います。
一時期であっても仕事が無くなることは確かに不安ですし、極貧生活の中からさらに給与が無くなってしまうということは相当辛いことですが、それでも、病気を患った代償の方がよほど大きいと感じています。

私の場合は病気を患っただけで済みましたが、もし苦しくて生きる希望を無くしてしまっている方がいらっしゃるなら、そこまでして働く必要は無いと言いたいです。

自分の体、自分の人生、そして自分の命よりも大切な物なんてないわけですから、もし自分の人生が揺るがされそうな状態にあるのであれば、一度何もかも捨て去る勇気が必要だと思います。

人が苦しむ理由の大半は、たくさんのものを抱えすぎていることにあると思っています。

会社をなかなか辞められないこともその一つですが、こうでなければならないとか、こうしなければならないという制限があるからこそ、人はそれに苦しみ、悩み、ストレスを抱えるわけです。
つまり、たくさんのものを抱えていれば抱えているほど自分に制限がかかり、人生の自由を失い、苦しむわけです。

そうであれば、そのたくさん抱えているものを捨て去ることが、自由に近づく道であり、自分を解放する道であるわけです。

そうは言っても、今まで抱えていたものを簡単に捨て去ることが難しいのは百も承知です。
では、なぜ捨て去ることが難しいのか。

それは、たくさんのものに依存していて、自分で責任を負うことが出来なくなっているからです。

例えばストレスを抱えながらも会社を辞められないこともその一つですが、会社からもらえる給料に依存し、自分一人で生きていく責任を負えないわけです。

以前にこのブログで、

前田慶次の名言に学ぶ。自由を求めるのであれば、死と背中合わせの責任と覚悟を持つことである。

という記事を書きました。

その記事で紹介した前田慶次の言葉に、
そんなに自由に生きたかったら乞食(こじき)にでもなるさ。
だがその自由も野たれ死にの自由と背中合わせだがな。

という言葉がありますが、あらためてこの言葉は深いと思います。

全ての事に対して、自分一人で責任を持てるのであれば、何の制限もなく自由な人生を送れるわけです。
しかし、それが怖いから出来ないでいるわけです。

会社や他人に自分の人生や責任、決断を委ねるという事は、本当の意味で自立し、一人で生きていくことに比べればとても楽な選択ではあるわけですが、実はその選択自体が、自分の自由を奪うことになり、後に苦しむ選択になる事もあるわけです。

今、たくさんの人がストレスを抱え、ストレス社会だと言われているのは、この自己責任感の欠如によるものだと思っています。

特にその傾向が強いのが日本ではないかとも思っています。
日本の社会は、年功序列、終身雇用制度で守られた会社で働き、老後は年金をもらい、それなりに人付き合いをし、一生を楽しく終えるという生き方が、長い年月をかけて常識化されました。
だから、たくさん勉強し、良い高校、良い大学に入り、良い会社に入ることが幸せになれる法則だとされてきました。
しかし、今や学歴なんてものはあまり関係が無くなってきており、終身雇用制度は崩壊し、年金制度もよくわからなくなっています。
もっと言えば、国というものに頼ることさえ出来なくなってきました。
自分の道は自分で切り拓くしか無くなってきているわけです。
この常識と現実とのギャップがあるため、ストレス社会が加速するのも無理はありません。
常識は変わっていないけれど、時代が変わったわけです。

だからこそ今の時代、自分の事は自分で、自分の行動は自分で責任を取る必要性が出て来たわけです。
そうでなければ、不安定な社会や常識に依存し、人生を振り回されてしまいます。

つまり、私たちを苦しめる根底に社会の常識というものがあり、そしてその常識からはみ出してはいけないという常識があり、国や会社、他人に依存して生きていくべきだという常識があるために、私たちは惑わされ、知らず知らずのうちに自由を失ってきているわけです。

その常識を打ち破るカギは、自己責任であるわけです。

全てを自分の責任だと思い、その覚悟を持つことで自由は広がります。

知らず知らずのうちに、自分に認識があろうがなかろうが、人は何者かに依存しているものです。
そしてそこから抜け出すのが怖いわけです。

しかしよく考えてもらいたい。

その依存しているものも、大抵は大したものではありません。

今の時代の国や会社、あるいは他人を見れば分かるように、依存しているその対象も、いつ、簡単にもろく崩れ去るか分からないものになってきました。
そんなものに依存し、自由を奪われる必要はありません。

自己責任の範囲においては、何をしても自由であるわけです。
逆に言うと、自分に責任を持つことが出来れば出来るほど、自由の範囲は広がります。

世間から見れば、あいつは逃げていると思われることであっても、自分で責任を取れるならば、堂々と逃げればいいのです。

これも常識が邪魔をしているのですが、逃げることは美しくないと思われがちですが、時には逃げることが正解でもあるわけです。
人生、そんな時期があってもいいわけです。

全ては、最後に自分自身が責任を取れればそれでいいわけです。
何事も自己責任、その意識が人生を大きく変えます。

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