人生に無駄なことはない

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哲学

人生に無駄なことはない。
多くの人がこの言葉に出会ったことがあると思う。

でもそれは本当なのか?

今日はこの言葉について、下記の内容に沿って考えていきたいと思う。

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人生に無駄なことはない

人生に無駄なことはないと言っても、振り返るとあれは無駄だったということがあると思う。

例えば、美容師の専門学校に通っていたけれど、結局就職したのは全く別の職業である場合。
あるいは、最初は美容院に勤めたけれど、途中で辞めてしまって違う職業に就いた場合。
こういった場合は、専門学校に行くためのお金と、通っていた時間が無駄になったと考えられる。

けれど、人生に無駄なことはないというのはそういう意味ではない。
一見無駄に思えてしまうことであったとしても、その経験が違う場面で活かされるから、それらは決して無駄になることはないということ。

まさにそのことについて、色々な偉人が名言という形で語ってくれている。

「人生に無駄なことなんか、ひとつもない。生きるってことは、いろいろ経験すること。その時は、自分とはまったく関係のないことのようでも、その経験が大切に思える時がきっとくる。」
フジ子・ヘミング

「人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すことである。長い目で見れば人生にはムダがない。」
本田宗一郎

「人生には無駄なことも損なこともありません。すべての経験があなたの中に積み重なっていくんです。」
斎藤茂太

「人生において『無駄な苦労』というものは、実は一つもありません。なぜなら、苦労そのものが人間をつくっていくからです。」
稲盛和夫

このように、何らかの経験をして、その経験が仕事や今後の人生に直接的に活きなかったとしても、その経験自体が自分を構成していくものになるため、人生に無駄なことはないのだと思う。

そうでなければ、失敗体験は全て無駄ということになってしまう。
けれど、失敗は成功のもととも言われるように、その失敗体験が次の成功につながることはとても多い。
むしろ、失敗なしで成功することの方が珍しいと思う。

人生には無駄もあるという意見もある

とは言え、人生には無駄もあるという意見も多い。
さすがにこれは無駄だ、何の意味もなしていない、という意見もある。

Yahoo!知恵袋に、まさに今回の議題についてピッタリな投稿があったので紹介させていただきたい。
人生で無駄な事は1つもないって断言する人がいますが、私の友人の経験してきたことはどうなんでしょう?
という投稿。

その友人は勉強に意味を見いだせず高校を中退して引きこもりとなり、何もやる気が起きず、3年以上も働くこともせず、遊ぶこともせず、毎日昼も夜も寝ているか、起きてる時はゲームするかAVを見て過ごすという日々を送っていたらしい。
しかし、このままではいけないと思った友人は、思い直して定時制の学校に通い、アルバイトをして、今は引きこもりではなくなったとのこと。
けれど、その本人がこのように語っている。
“高校を中退してからの3年間、貴重な時間をドブに捨てた、何一つほんのわずかでも為になることは無かった、病気で苦しんでいたわけでもなく、ただ純粋に無気力で怠けたいだけだった、同情されるような余地はまったくもってない、自分以上に無意味で無駄で愚かなことをした人は他にいないと思う、自分でもなぜそんな風に無為なことをしたのか解らない、どうやってその3年間の後悔に折り合いをつけたらいいかわからない”

それについて、投稿者も
“残念だけど彼の言うとおり本当にその期間は無駄としか思えないです。”
と書いている。

しかし、ベストアンサーも含め、この投稿への回答は、無駄ではないという意見が多い。

“その3年間があったから、定時制の高校に通い、アルバイトをしようとまで思えたんだと思いますよ。彼自身も気付いていないのかもしれませんが、重要な充電期間だったんだと思います。”

“彼自身が1番後悔していることが無駄になっていないということです。”

“その3年間の内に何もしない所から、定時制の学校に通いながらアルバイトをしようと考える所まで「成長」されているじゃないですか。”

“3年間は無駄じゃないですね その3年間があるから以前より増して頑張れる。”

などなど、その3年間は無駄ではないという意見が多数見受けられる。

しかし一方では、

“無駄だと思います。人生で経験したことが無駄じゃない、が教訓になるのはある一定以上の知性のある人だけじゃないかな。バカな人は学習能力も向上心も低いから、過去の経験を生かすこともなく、ずーっと同じような道をだらだら歩むだけだと思う。”

という意見もある。

無駄だと思えば無駄、無駄じゃないと思えば無駄じゃない。

人生に無駄なことがあるかどうかは、結局捉え方次第じゃないかなと思う。

無駄だと思えば無駄、無駄じゃないと思えば無駄じゃない。

そもそも世の中の物事というものは、物事それ自体には意味はなくて、その物事をどう捉えるかによって初めて意味を成すのだと思う。

例えば、コップの中に水が半分あったとする。
物事の事実としてはコップの中に水が半分あるというだけであり、そこには何の意味もない。
けれど、そのコップの中の水を見て、あと半分しかないと思うのか、まだ半分あると思うのか、その捉え方によって初めてコップの中の水は意味を成す。
つまり、物事というのは事実があるだけで、そこに意味をもたらすのは人の捉え方であるのだと思う。
事実しかない物事に、人の受け取り方、感じ方、捉え方が加わることではじめて意味が生まれるのだと思う。

それと同じように、これまで送ってきた日々の人生に対して、自分自身がどう捉えるかによって、その日々が無駄であったか無駄でないかが決まる。
過去というものは変えることも出来ないし、過去に起きた物事は事実でしかない。
その事実自体には何の意味もない。
けれど、その過去の事実をどう捉えるかによって、それらの過去にどのような意味をもたらすのかが決まる。

無駄だと思える時間を過ごした過去を振り返って、ただ無駄な時間を過ごしたと思うだけなら本当に無駄になってしまうかもしれない。
けれど、無駄だと思える時間を過ごした過去を振り返って、もう無駄な時間を過ごしたくないと思えるなら、それは過去の経験が活きたことになる。
つまり、ネガティブに捉えれば過去の無駄は無駄になり、ポジティブに捉えれば過去の無駄は今後に活かせる経験になるのだと思う。

人生に無駄はないと思うことで、次の一歩を踏み出せる

無駄という概念がある限り、人はなかなか次の一歩を踏み出しにくくなる。
なぜなら、そのような概念を持っていると、ここまでやってきたことを無駄にしたくないという心理が働くから。
しかし、それこそが人生の浪費に拍車をかけることになりかねない。

偉大な発明家、トーマスエジソンはこのことについて下記のような名言を残している。

「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。」

「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」

エジソンは、人生に無駄はないということを知っている天才だと思う。
だからこそ、本人は失敗とは認めていないけれど、一時的な失敗にもひるまずに、何度も何度も挑戦し、ついには誰もが知る成功者になれたのだと思う。

これまでやってきたことは無駄ではない、今後のための勉強、経験であるとエジソンは言っているのだと思う。
これまでやってきたことは無駄ではないということを知っているからこそ、次から次へと手を替え品を替え、果敢にチャレンジ出来たのだと思う。
この失敗は次に活かせる経験であるということを知っているからこそ、またチャレンジするという次の一歩を踏み出せたのだと思う。

これまでのことが無駄になると思ってしまうと、一時的な失敗を認めることが出来ず、新たな一歩を踏み出しにくくなる。
けれど、多くの偉人が言うように、どんなことであってもこれまでの経験は決して無駄にならないと思えるなら、新たな一歩も踏み出しやすくなると思う。

まとめ

結論としては、人生に無駄なことはないかどうかは、自分の心構え一つで決まると思う。
無駄だと思えば無駄になるし、無駄ではないと思えば無駄ではなくなる。
そうであれば、私は人生に無駄なことはないと思いたい。
そうすることで、無駄だと思える物事であっても無駄ではなくなると思うから。

そもそも私たちは、きっと無駄だらけで生きているのだと思う。

人生の中で、とても充実しているという日はどれぐらいあるだろうか。
もし毎日とても充実しているというのであれば、社会的な面とか、金銭的な面は別として、それはすでに十分成功しているのだと思う。
けれどそうでないのであれば、無駄だらけの日常の中から、希望を見出さなければならないのだと思う。

そのためには、人生に無駄なことはないという心構えが大事だと思う。

そしてその中から希望を見出し、成功を勝ち取ることが出来たのであれば、やっぱりそれらの経験は無駄ではなかったと思える日が来るのだと思う。

きっと人生というものはそういう旅だと思う。
無駄だと思えばそこから何の価値も見出せない。
けれど、無駄だと思える経験でさえ無駄ではないという心構えを持つことで、そこから価値を見出すことが出来る。
そのことを知っている人こそが無駄だと思えるような経験もを活かし、前に進んでいけるのだと思う。

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