自分が変えることの出来るものと、自分が変えることの出来ないもの。

哲学

日々、誰もが一生懸命生きていると思う。
けれど、その中で成果を出せる人とそうでない人、人生を楽しめる人とそうでない人がいる。

以前に同じようなテーマで、その原因の一つとして、自分が本当に求めているものが明確になっているかどうかの違いだと書いた。

自分が本気になったものには命を懸けろ!その他の問題や悩みは大したことない。

それも、成果を出すためや、人生を楽しむために絶対に必要な要素だと思う。
しかしそれだけではないとも思う。

それ以外の要素として大切なことをさらに一つ上げるなら、
自分が変えることの出来るものと、自分が変えることの出来ないものを理解することだと思う。
これを混同してしまうから、運が良いとか悪いとかいう無駄な議題が上がってしまう。
これを理解することで、自分がやるべきこととそうでないことが見やすくなると思う。

自分で変えることが出来ないものはいっぱいある。
例えばどこの誰のもとに生まれるかとか、いつ人生を終えるとか。
そんなことは周知の事実であるけれど、時として人はお金持ちの家に生まれたかったなどと言う。
それは変えることの出来ないものに執着していることになると思う。

この目線で物事を考える人は、人生を楽しみにくいと思う。
自分に変えることの出来ない、無い物にフォーカスしているから。
無い物にいくらフォーカスしようと手に入れることは絶対に出来ない。
そしてそういう人の多くは、無いことを言い訳にして、手に入れられるものを見ようとしない。

およそ小人の常、大なる事を欲して小なる事を怠り、出来難き事を憂いて出来易きを勤めず。それ故、ついに大なる事をなす能わず。

これは二宮金次郎の有名な言葉で、
大きなことを成し遂げようとするならば、小さな事を怠らずにやるべきである。
小さな事が積み重なって大きなことを成し遂げられる。
しかし、大きなことを成し遂げられない人は、大きなことを求めるばかりで、出来ないことばかりに目を向け出来ない出来ないと言い、目の前の出来る小さなこと見ようともせず、それに懸命になる事をしない。
小さな事もしない結果として、当然大きな事も成し遂げることは出来ない。
大きな事は、小さな事を積み重ねた結果であると言うことを知らないからだ。

という意味になる。

これは私の大好きな言葉であり、座右の銘でもある。
この言葉通り、手に入れられるものも見ようとしなければ、成果が上がらないのは当然であり、無い物を求めるばかりでは、人生は楽しくないと言える。

一方、成果を上げたり、人生を楽しんでいる人は、やっぱり自分が変えることの出来るものと、自分が変えることの出来ないものをよく理解しているのだと思う。
自分が変えることの出来るものにフォーカスし、エネルギーをそこに注ぎ込むから、成果も上がり、人生も楽しめるんだと思う。
自分が変えることの出来るものにエネルギーを注ぐから、無駄がない。
そのようにして、着実に成長していき、成果を上げていくのだと思う。
それがいつしか運というものまで左右するのだと思う。

最後に、自分が変えることの出来るものなのかどうか、微妙なものがあり、昔から議題とされているものがある。
それは、他人を変えることが出来るのかどうかという問題。

私個人の結論としては、他人を変えることは出来ないと思っている。
しかし、他人に影響を与えることは出来る。
自分自身のことを思い返してみるとよくわかると思うけれど、他人にどれほど強制されようと、その人の言うとおりに変わろうとはしない。
他人がどれほど自分のドアをノックしようと、こじ開けようとしてきたとしても、人は絶対にその扉を開けようとはしない。
その扉を開けるときは、自分がそうしたいと思った時だけ。
つまり、その人が何かに影響された時だけだと思う。

そうであれば、仮に他人を変えたいと思ったとしても、見つめなおすべきは他人の心の扉ではなく、自分自身のあり方なのだと思う。

何に一生懸命になるかというのは非常に大事で、そこを間違うとその一生懸命さは全く意味をなさないことがある。
だからこそ、自分が変えられるものは何かをしっかりと理解し、そこに一生懸命になる必要があるのだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました