神様仏様はいない?神様仏様は自分の心の中に居るものである。

哲学

以前に見たテレビ番組で、元お笑い芸人の島田紳助さんがこんなことをおっしゃってました。

「仏壇の中に仏様はいてるけれども、あんなものは所詮どこかの職人さんが木を掘ったものだ。そんなものは仏様ではない。もしあれが本当に仏様ならば、横に供えている花は仏様の方に向かって供えなければならない。しかし、仏様から見れば、花の裏しか見えず、葉っぱしか見えない。だからあれは拝む人の心に向かって花を供えている。つまり仏教というものは、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるんだという教えなんだ。」

この言葉はかなり昔に聞いた言葉ですが、とても印象深かったのでハッキリと覚えています。

「ギャンブルで負けた!クソ!腹立つから墓参りに行こうと思う人は居ない。それは心が乱れているから。墓参りに行こうと思う時は心が穏やかであり、その瞬間に自分の心の中に極楽が生まれている。」

このようにも言っていました。
おっしゃる通りだと思います。

これと同じような話で、ある重い病にかかった人の話があります。

その病にかかった本人は落ち込んでしまい、病気を治すどころではなかったそうです。
そこで、その子供が、とても有名な教会からもらってきたありがたいネックレスだと言い、父親に渡したそうです。
その気持ちが嬉しかったこともあったのでしょう。
その父親は治療に専念し、すっかり良くなったそうです。
しかし、実はその子供が手渡したネックレスは、ただ道で拾った物であって、全くありがたいものでもなく、何の効果も期待できるものではなかったそうです。

また、有名な僧侶であり、いわゆる尼さんである瀬戸内寂聴さんがいらっしゃる曼陀羅山 寂庵(まんだらさん じゃくあん)という寺院にはたくさんの方が、ありがたい、とても効果があると言って参拝されるそうですが、実はそこにある木彫りの仏様は、お金に困って雑貨屋を開いた友人の店で、何か買ってあげなきゃいけないと思って、なんとなく買った木彫りの仏像に過ぎないと聞きました。
実際に、瀬戸内寂聴さん自身も、ありがたい、効果があると言ってくれるが、そんなものは偶然だと言っています。

つまり、神、仏が実在するかどうかは置いておいて、結局は何かが叶うかどうかは、自分自身の気持ちの持ちようであるということです。

島田紳助さんがおっしゃっていた仏壇の仏像も、病気の父親のためにあげた拾ったネックレスも、曼陀羅山 寂庵にある仏像も、全てそれら自体には何の効果もないわけです。

しかし、それらの力を信じる自分自身の心が、全ての効果をもたらしてくれているというわけです。
だからこそ、人間の思い込みというものは非常に強い力があるものです。

多くの自己啓発書などで、自分は出来ると信じなさいとか、目標は必ず達成できると思い込むことが大切などと言っているのは、この思い込みの力がどれだけ重要なのかが書かれているわけです。

もちろん、神、仏を否定しているわけではありません。
私自身、神様、仏様は居るものだと思っています。
しかし、仏像やネックレス、その他のもの自体に効果があるわけではなく、それらを信じる人間の心や思考のパワーに効果があるのだと思っています。
だからこそ、自分が何を思い、何を信じ、どんな信念を持ち、どれぐらいの思いの強さを持つのかということは非常に重要です。
このパワーは、決して良いことばかりに働くわけではないからです。

自分には才能がない、こんなことは自分には無理、生きていても面白いことなんてない、という風に思い込むと、その力はすぐに効果を発揮してしまいます。

今まで元気だった人が、ガンだと知らされた途端に気がめいってしまい、病弱になり、亡くなってしまうという話はよく聞きます。
知らされなければ、いつまでも元気だったのではないかと思うほどです。
それぐらい人の思い込みの力とは大きなものです。

そうであれば、仏像やネックレスを信じるように、自分にプラスになることを信じたいものです。

私個人的な意見ですが、人は自信過剰なぐらいが丁度良い。

決して横柄な態度をとってはいけませんが、それぐらいでなければ、道は切り拓けませんから。
何を思い、何を信じ、どう感じるかは個人の自由ですから、どうせなら良い未来を信じていきたいものです。

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