幸せとは、心が満ち足りていること。感謝の気持ちを持つことで、心が満たされる。

自己啓発

幸せとは何か?
そんなことを考えたことがあるのは私だけではないと思う。

色々な定義があるけれど、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、

「心が満ち足りていること。」

と書かれている。

私はこれが真理だと思う。

誰もが幸せを感じたことがあると思うけれど、幸せを感じているときは必ず、胸がいっぱいになるぐらい心が満たされていると思う。
幸せとは、お金が満ち足りていることでも、物が満ち足りていることでもない。
そうであれば、心が満たされている状態を作ることが出来れば、人は常に幸せだと感じることが出来ると思う。

では、心が満たされている状態を作るにはどうすればいいか。

それは、今あるものに目を向け、感謝の気持ちを持つこと。

これが出来れば、人はいつでも幸せを感じることが出来ると思う。

幸せになりたいのであれば、あるものに目を向け、感謝の気持ちを持てばいい。
不幸になりたいのであれば、ないものに目を向け、不満を抱けばいい。

感謝することに目を向ければ、心が満たされ、いつでも幸せになることが出来る。
不満に目を向ければ、心に空虚感が生まれ、いつでも不幸になることが出来る。

例えお金を持っていても、時間がたくさんあっても、人脈が広くても、足りないものばかりに目を向ければ、いつだって不満を抱くことが出来る。
例えお金を持っていなくても、時間がなくても、人脈が狭くても、あるものに目を向ければ、いつだって感謝の気持ちを持つことが出来る。

一般的に見て、いくらたくさんのものを持っていたとしても、不満にフォーカスしていれば、いつだって不満であり、不幸でいられる。
一般的に見て、何も持っていなかったとしても、感謝にフォーカスしていれば、いつだってありがたい気持ちが溢れ、幸せでいられる。

感謝の気持ちを持つことは大切なことだと誰もが知っていると思うけれど、なぜ感謝の気持ちを持つことが大切なのかは意外と意見が分かれるところ。
もしかすると、ただ漠然と感謝の気持ちを持つことは大切なことだと思っているだけかもしれない。
感謝の気持ちを持つことが大切な理由は、スピリチュアルなものでもなんでもなくて、自分が感謝の気持ちを持つか持たないかで、自分が幸せだと感じるか、不幸と感じるかを選択することになるからだと思う。

私たちには家族もいて、仕事もあって、家もあって、着る服もあって、ご飯も食べられて、温かい布団で眠ることが出来る。
そうでなくても、目、耳、鼻、口、手、足があって、歩くことも出来れば、見ることも聞くことも、喋ることも出来る。
そうでなくても、生きている。

極論を言えば、生きていることだけで幸せなんだと思う。

生きていることが辛いと感じる人もいるかもしれない。
けれどそれは、やっぱりあるものに目を向けず、ないものに目を向けているからだと思う。
生きてさえいれば、どんな可能性だってある。
可能性があるということ、たったそれだけのことが、どれだけ素晴らしいことであり、幸せなことか。
そこに感謝出来れば、私たちはいつだって幸せを感じることが出来ると思う。

けれど、家族を養わなければいけない、仕事をしなければならない、いい家に住めないし、いい服も着れない、贅沢なご飯が食べれない、明日のために寝なければならない。
このように捉えていれば、やっぱり不満が生まれるし、不幸であると思う。
生きていることさえ辛くもなるかもしれない。

これは一見、贅沢な暮らしをしたり、満たされる生活が出来れば解決するかのように見えるけれど、フォーカスする目線が変わらない限り、解決はしないと思う。
なぜなら、人は満たされれば、必ずもっと多くの物を求める生き物だから。
もちろん、それは活力となり、エネルギーとなるから、貪欲であることはいいと思う。
けれど、それだけではいつまでたっても心は満たされないし、幸せを感じることは難しいと思う。
実際に多くを手に入れてもなお、幸せを感じることが出来ず、不満を抱き続ける人がいることが何よりの証拠。

そうであれば、わざわざないものを探して、わざわざ不満を感じ、わざわざ不幸になる必要はないと思う。
そうではなく、私たちは今生きていて、こんなにもたくさんのものを持っているということに気づくべきだと思う。

今日、仕事があるのであれば、ご飯を食べられるのであれば、帰る家があるのであれば、眠る布団があるのであれば、とてもありがたいことであり、幸せな事だと思う。
そして、今日生きているのであれば、これほどありがたいことはない。

最後に、私の大好きな言葉で、趙昌仁(チョ・チャンイン)の著書である、韓国のベストセラー小説「カシコギ」の中の一節を紹介したい。

「あなたがなんとなく過ごした今日は昨日誰かがあれほど生きたいと願った明日。」

私たちは、生きられない境地に立って、やっと生きていることの素晴らしさに気づくことが出来、感謝することが出来る。
それと同じで、失いそうになって、あるいは失ってから、やっとそれらのありがたさかが分かる。

私たちは気づいていないだけで、たくさんのものを持っている。
私たちは気づいていないだけで、たくさん感謝すべきものを持っている。
それに気づくことが出来れば、私たちはいつでも幸せになることが出来る。

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