頭で記憶することと、感情で記憶することの違い。

哲学

人間の記憶というものは、1日経過すると74%を忘れると言われます。
この数字には本当かよという疑問もありますが、確かに人間とはどれだけ集中して記憶しようとしても、ほとんどの事を忘れているものです。

学生の時に勉強した数学や物理の公式、世界史で出てきた歴史上の人物、古典や漢字など、覚えていないですよね。

必死に読んだ本の内容も、確かに74%か、それ以上の部分は忘れてしまっているかもしれません。

しかし、修学旅行の夜に友達と話した内容や、先生に無茶苦茶叱られたことや、部活動のこと、初恋のことなどはどうでしょうか。

私は今でも鮮明に覚えています。

人は楽しい出来事や辛かった出来事はよく覚えていると言います。
まさにその通りだと思いますが、なぜこのような現象が起こるのでしょうか。

昔習った公式なんかは思い出せと言われてもなかなか思い出せないのに、楽しかったことや辛かったことはふと思い出して思い出に浸ることもあれば、友人とそれらの話で盛り上がることもあります。

このような現象が起こる理由について私は、人間は頭で記憶しようとしたことはすぐに忘れてしまうが、感情で記憶したことはいつまでも覚えているのだと結論付けています。

どれだけ集中して覚えたことも、頭だけで記憶すると日が経つにつれて忘れていってしまいます。
しかし、その記憶に感情が伴っていれば、それを思い出した時にその時の感情まで鮮明によみがえってくるものです。
だから友人と昔話をした時に、その当時のままの感情で話すことが出来、朝まで語りつくしてしまうほどに盛り上がるわけです。

つまり、心にとどめておきたいことは感情を伴わせる必要があるということです。

以前に私は
目標や夢を書き出すことの大切さ
という記事を書きました。

詳しくはその記事をご覧いただきたいのですが、その記事の中で、
目標を立てたときの感情は忘れていってしまうものです。
という文面があります。

これだけを見ると、感情を忘れてしまうなんて言っていることが真逆じゃないかと思われてしまいそうですが、決してそういうわけではありません。

感情で記憶するということは、そんなに中途半端な感情ではダメだということです。

学生時代の思い出、青春時代の思い出など、心に残っている記憶にはどれだけ深い感情があるか考えてみてほしいのですが、「よし、今日から俺はやるぞ!」という程度の感情ではないはずです。

心に突き刺さるような、ワクワクするような、心が痛むような、激しい感情があったはずです。

だからいつまでも記憶しているし、今思い返しても鮮明にその時の感情がよみがえってくるわけです。

なんらかの目標を立てたり、人生を大きく動かすような決断をした時、確かに自分の中で感情は高ぶるものです。
しかし、その時の感情は、今でも鮮明に覚えているような出来事が起こった時の感情と比べれば小さなものです。

だから一度決断したことでも、どうしてもその決意が揺らいでしまうわけです。

要するに、今でも鮮明に覚えている出来事が起こった時の感情と同じぐらいまで感情を高める必要があるということです。

たった一度決意しただけの感情では、頭で記憶したものと同じように、その感情まで薄れていってしまい、長続きはしないし、強い決断や熱意にまでは達しないということです。

だからこそ、その決意した記憶をもっともっと強固なものにするために、毎日その記憶を呼び起こし、 何度もイメージすることで、感情で記憶したことと同じような力を発揮できるのだと思っています。

つまりは、本当に何かを成し遂げたいのであれば、心と脳に焼き付けるほどの感情を伴わせる必要があるということです。

「出来事」に関しては、勝手に心が記憶してくれます。

ただ、「出来事」ではなく自らそのように深く記憶するためには、自らが自らに働きかける必要があるわけです。

その時に有効なのはやはり感情であるということです。

いくら目標に取り組もうと決意したとしても、心が揺さぶられるほどの感情が伴っていなければ、事を成し遂げることは出来ないでしょう。

しかし、心が揺さぶられるほどの感情が伴っていれば、昔話を友人とするかのように、いつまでもその時の感情を思い起こすことが出来、そう簡単に決意は揺るがないはずです。

感情とは本能であり、出来事に対して反応するもののように思われがちですが、実は自分自身で感情まで支配し、それを活かすことさえ出来るものだと私は思っています。

もしあなたが人生の転機を迎えているのであれば、その感情を忘れないよう、強固な感情になるまで、心と脳に今ある感情を繰り返し繰り返し植え付けてみてほしいと思います。

そうすれば、忘れることはなく、思考と行動が変わってくるはずです。

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