「家族のために頑張ってる」は絶対NG!誰かに尽くす本当の理由は自分がそうしたいから。

哲学

よく、家族のために頑張るとか、子供のために、恋人のために、○○のためにという言葉を聞きます。

もちろん、家族のために、世のため人のために何かをすることは素晴らしいことだと思います。

しかし、○○のためにというのは、結局自分のためでもある、と私はいつも思います。

本当は〇〇のためにという言葉の上に、大体自分の感情が入るはずです。

例えば、家族のために働くというのは、自分が家族の喜ぶ顔が見たいから、家族に幸せでいてほしいから、家族のために働くのでしょう。

家族が幸せでいてくれることが自分の幸せにもつながるということです。

友達や恋人のためにサプライズを仕掛けてあげるのは、自分が驚いた顔、喜んだ顔をみたいからサプライズを仕掛けてあげるのでしょう。

友達や恋人が喜んでくれた姿を見て、自分の喜びにもつながるということです。

誰かのために何かをしてあげることで、もちろん相手も幸せになり、そして自分も幸せになれる。

これはとても素敵なことで、それでいいんだと思います。

しかし、誰かのためというのは、結局自分がそうしたいからしている、ということを理解しておかないといけない理由があります。

それは、○○のために頑張ってるとか、○○のためにやってあげるということを、
時に都合のいいことに使ってしまう場合があるからです。

「私は家族のためにこんなに頑張っているのに!」
「あんなに尽くしてやったのに、恩知らずなやつだ!」

というような言葉をよく聞きますよね。
ここで、知っておく必要があります。

それはあなたがそうしたいから、そういう選択をしたんでしょ?ということです。

あなたが勝手にやったんでしょ?とまでは言いませんが、前述のように、○○のためというのは、そうすることで自分自身も幸せを手に入れているはずなんです。

だからそういう選択をしているはずですから。

頼まれてイヤイヤ何かをした、ということはあるかもしれませんが、そうでない限りは、
都合のいいときだけ○○のために頑張ってる、やってあげた、ということを盾にするのは良くないでしょう。

そう言われた瞬間、実際にそうであっても、言われた側は感謝の気持ちが薄れ、
時には「頼んでねぇよ」とさえ思うかもしれません。

恐らくそれは、誰もが潜在的に○○のためは自分のためでもある、ということを知っているからなのだと思います。

だから普段は感謝をしていても、それを言われた瞬間に違和感を持ち、反発の気持ちが芽生えるのでしょう。

本当に○○のために、と思って尽くしているのであれば、自分がしたことで何らかの対価を求めようとはせず、無条件の愛で尽くしてあげることが大切なのでしょう。

そうすることで、自分自身もより幸せになれるはずです。

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