親という漢字は、木の上に立って見ると書く。しかし今は子供の人生に、木の上からノコノコ下りてきて口をはさむ親が多い。

教育

キャリコネニュースの記事より。

「子どもに期待するのをやめたら楽になった」中学生の母に賛否 「お互い楽になる」「期待しちゃいけないの?」
期待しなければ双方幸せ? 「塾に入れたけれど成績が一向に上がらない」「幼い頃から英語やピアノを習わせているが目覚ましい成果がない」といった悩みを持つ親は少なくないでしょう。さらに子どもに全くやる気が見えない場合は、期待するのも虚しくなってしまいます。 1月下旬のガールズちゃんねるに「子供に期待するのをやめて楽になった方...

「子どもに期待するのをやめたら楽になった」という中学生の母に賛否が集中しているという記事が上がっていました。

その母親は、小さな時から色々と習い事をさせ、勉強する環境を整えチャンスを与えてきたものの、「本人にやる気がないのと私に似て地頭が良くないのです。”カエルの子はカエル”悲しいけど現実です」
「期待するのはやめました。そしたら少し楽になりました。同じような方いますか?」
と投げかけたようです。

これに対して、
「期待しないほうがお互い気が楽になる」
「学歴つけさせたかったけど、本人にやる気がなさすぎて諦めたよ。塾だって金ドブ。なんの意味もなかった」
というように、共感の声が寄せられる一方、
「それ、子供は敏感に感じ取ってると思う。傷つくと思うよ」
「期待しちゃいけないの?過激な期待はストレスになるけど人から期待されるって悪い事ばかりじゃないよね」
「親だからこそ、我が子に幸せな人生を送って欲しいと期待する」
と言う風に、否定的な意見もあり、賛否両論あるようです。

確かにこれら全ての意見、決して誰も間違っていないでしょうし、答えがないからこそ、それぞれの考え方によって賛否は分かれそうな問題です。

私個人的な意見を述べさせてもらうと、子供に期待すること自体は別に構わないと思うし、自分の子供だからこそ幸せになってほしいと期待する気持ちも分かります。

しかし、期待するのは親の勝手であり、子供には関係の無いことだとも言えます。
つまり、期待して見守るのはいいけど、期待して押し付けるのは良くないと思うわけです。

子供の将来のために、習い事や勉強をする環境を整えてあげることは非常に素晴らしいことだと思いますが、そもそも子供はそれを望んでいるの?という部分が疑問です。

私が気になったのは、「本人にやる気がない」という部分です。

本人にやる気が無いということは、本人がそれを望んだわけではなく、やらせているということではないでしょうか。
そうであれば、それは期待の押し付けになってしまいます。

「こんなに学ぶ機会を与えてあげているのにあの子は!」
と言われても、子供からすれば、
「望んでねえよ!」
ということになるのではないでしょうか。

そうは言っても、学歴は必要だし、勉強は大切だから、と言われるかもしれません。
しかし私個人の経験上と、勝手な個人的見解から述べさせてもらうと、勉強が必要だと思ったら自分からするし、必要ないと思ったら例え親が何を言おうがやらない、ということです。
むしろやりたくもないことを押し付けられるとどうしても反発が起こり、余計にやる気を失う可能性だってあります。

それでも、勉強は必須だから、イヤイヤでも学ばせた方が良いという意見もあるでしょう。
親がそう思うのであれば、それもそれでいいと思います。

しかし、そこまで言うのであれば、子供がイヤと思いながらでもやらせる明確な理由は必要になるでしょう。
勉強は必須であるというのであれば、なぜ?という部分が必要です。
今勉強を頑張れば、将来幸せになる事に直結するのでしょうか?
いい高校、いい大学に入れば子供は幸せなのでしょうか?

私には疑問です。

仮に、もし明確な理由があったとし、その子が幸せになれるレールを引いてあげられるとしても、親が引いたレールを走らせることが正しいのかも疑問です。

親には責任があるからこそ、ついついそのように期待を寄せ、時には子供の人生に首を突っ込んでしまうのかもしれません。
時には首を突っ込むことも必要だとは思います。
しかし、やはり我が子であろうが、1人の人間の人生であるわけです。
どこまで導いてあげるか、どこまで首を突っ込むのかはよく考える必要があるでしょう。

我が子であっても、1人の人間として尊重することが重要なのではないかと思うわけです。

迷ったら手助けしてあげる。
必要であれば協力してあげる。

親の役目とはこれだけで十分なのではないでしょうか。

以前に私はこのような言葉を聞いたことがあります。

「親という漢字は、木の上に立って見ると書く。しかし今は子供の人生に、木の上からノコノコ下りてきて口をはさむ親が多い。」

私自身は、親から何の干渉も受けずに育ってきて、いざ自分が親になってみて、干渉せずに育てることの難しさを理解しているからこそ、この言葉は胸に残っています。
干渉しないことが正しいとは言いませんが、少なくとも私は、親が何の干渉もせずに育ててくれたことに今は感謝しています。

私は全く勉強も出来ませんでしたし、今も賢くはありません。
もうちょっと勉強しておいたら良かったと思うことも多々あります。
しかし、だからこそ今は勉強の大切さも理解しているつもりですし、社会人になった今も勉強は続けています。

また、学生時代に勉強はほとんどしませんでしたが、それによって経験できたこともたくさんあると思っています。
もし私が学生時代に勉強ばかりしていれば、逆にもっと遊んでおけば良かったとか、色々経験したかったと思っているかもしれません。

要するに、正解なんてありませんし、それを強制したからといってどうなるわけでもないと思っています。

親が正しいと思ったことを強制的にやらせたところでそれが正しいかどうかなんてわかりません。
そうであれば、子供自身が考えて、やりたい、やるべきだと思うことを思いっきりやらせてあげることの方が大切なのではないかと思います。

もちろん、親としての責任がありますから、時には方向性を教えてあげる必要はあると思います。
しかし、親が勝手に期待を押し付けて、子供のやり方、人生を決めてしまうよりは、期待しながらも見守る、そのようにして子供の人生を尊重してあげることが大切なのではないかと思います。

この記事の最後には、
「子どもは親の思った通りには育たないが、それなりのものには必ず育つ。親がよほど余計なことをしなければ」
と書かれています。

まさにその通りであり、子供は勝手に育ちます。
むしろ親の思った通りに育てようなんて、その子の人生を殺してしまっているようなものだと思います。

親ならもっとどっしりと構えて、大きな器で子供を受け止めてあげ、見守ってあげ、そして1人の人間として尊重してあげる。
このような親の器の大きさが、子供の可能性の大きさ、人生の大きさを左右するのではないかと思います。

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