気を使う人と気が利く人は違うって、知ってましたか?

哲学

優しいと呼ばれる人には、2種類のタイプがいると思う。

本来優しさとは、人を思いやる気持ちがあること。
人に配慮が出来ること。
これらは利他的とも言われ、利他的とは自分の利益を顧みず他人の利益を優先すること。

このように見ると、優しさとはどちらかというと自分から他人に働きかけるものだということがよくわかる。

けれど、現代では優しいと呼ばれる人のほとんどはこの本来の優しさを持ち合わせていないと思う。
自分から働きかけるのではなく、受け身の優しさ。
つまり、許すこと、我慢することが優しい人の定義になっているように思う。

実際に、優しい人とはどんな人かと聞かれれば、怒らない人や温厚な人、何でも(我慢して)やってくれる人を思い浮かべる人が多いと思う。

けれど、前者と後者は似て非なるもので、全然違うと思う。

漫画家、あだち充さんの代表作で「タッチ」という漫画があるけれど、そのアフターストーリーである「タッチ ~Miss Lonely Yesterday あれから、君は・・・~」に、今でも頭から離れない言葉がある。

「優しいって、自分も傷つきたくないってことじゃないかな?」

これは約20年ほど私の頭に残っている言葉で、その当時からなんとなく衝撃を受けた言葉だったけれど、当時10代の私にはいまいち本当の意味で理解することは出来なかった。
今になってハッキリ腑に落ちるけれど、これは前述の優しさの後者に当たるタイプの人で、要するに何よりも自分が可愛いと思っているタイプの人の優しさであり、簡単に言えば、人に嫌われたくない、自分が傷つきたくないという気持ちから来る優しさであり、つまりそこにあるのは自分の保身。
常に受け身の優しさであり、前者のように自分から他人に働きかけるものではない。
人を思いやる気持ちがあるわけでもなく、人に配慮しているわけでもない。
自分の保身から来る優しさだと思う。

「タッチ」にある言葉は、そのことを端的に、一言で表現された言葉だと思う。

それと同じで、気を使う人と気が利く人は違う。

気を使う人とは、ほとんどの場合、自分がいい人に見られたい、あるいは嫌な人に見られたくないという本音があると思う。
つまり、自分が可愛いと思っている人に多い傾向にあると思う。

気が利く人とは、自分のことはさておき、相手のことを想っている場合が多いと思う。
だから周りをよく見ているし、だからこそ気が利くのだと思う。

大切なのは、相手を想う気持ちだと思う。
それのない優しさや気づかいは、結局自分のためにやっていることになると思う。
そうであれば、やはり疲れるし、周りに都合よく使われることになると思う。
けれど、情けは人の為ならずという言葉があるように、相手を想う気持ちがあり、本来の優しさを持っている人や、気が利く人には、その行為が巡り巡って自分のもとに返ってくるのだと思う。

このブログでよく言う言葉だけれど、人は何かを与えられると返したくなる習性がある。
ただ受け身だけの優しさを持つ人や気づかいの人と、自分発信で与えてくれる優しさを持つ人や気が利く人のどちらに返したくなるかと考えれば、答えは明白だと思う。
むしろ、受け身の優しさの人や気づかいの人を見ると、優柔不断に見えたり、自分の意思がないように見えたりして、苛立つ人もいるかもしれない。
相手のために演じているつもりであっても、そこに人を思いやる気持ちや配慮する気持ちがなければ、自分の保身であることはバレバレだと思う。

そうであれば、やはり見返りを求めない無条件の奉仕こそが、結果として自分に返ってくるのだと思う。
そして無条件の奉仕が出来る人とは、人を思いやること、人に配慮が出来ること、そして相手を想う気持ちがある人だと思う。

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