因果の法則の典型的な例。行動でつくった問題を言葉でごまかすことは出来ない。

スポンサーリンク
自己啓発

発言小町にて。
謝っても許されないですか?
というトピックが立っていた。

トピ主様は親の介護が必要になったのだけれど、ご主人から一切手助けするな、介護をするなら離婚も視野に入れる、と言われたとのこと。

これだけ聞くとなんてひどいご主人だと思うけれど、それには理由がある。

3年前にご主人の母親がケガで入院した際、ご主人の母親と折り合いが悪かったトピ主様は、ご主人からの手伝ってほしいという要望の一切を拒否。
さらに金銭的な面での協力も拒否。
結果、ご主人が一人で母親の面倒を見ることになり、足りない費用はご主人が自分名義借金をして、お小遣いで返済していたらしい。
ご主人はそのことがあるから、一切手助けするな、介護をするなら離婚も視野に入れる、と言っているわけだ。

トピ主様はこの状況に、
”母親を見捨てるわけにもいかず、かといって離婚したら生活できないし。
どうしたら夫に援助や支援を認めてもらえるでしょうか?
謝罪は何度もしたのですが「口ならなんでも言えるよね」と全く受け入れてもらえません。”

と悩んでいる。

これに対しては、
自業自得。
我が身に返ってきてしまったんですね。
謝っても許されないですよ。
自分で招いた事態。
など、とても厳しい意見が書き込まれている。

私もそのように思う。

農業に学ぶ因果の法則。種まきなしにいきなり成功はありえない。
という記事をはじめ、このブログでは因果の法則、種まきの大切さを何度も書いているけれど、このトピ主様のお話はその典型的な例だと思う。

大前提として、種をまかなければ実はならない。
いい種をまけばいい実がなる。
そして悪い種をまけば悪い実がなる。

どんな行動をしても、どんな種をまいたとしても、その実は必ず自分で回収しなければならないことになる。

今回は悪い種をまいてしまったから、自分でまいた種によって実った悪い実を回収しなければならない状況に陥った典型的な例だと思う。

それでも、人は自分がやってきたことは棚に上げて、起きた結果ばかりを見て、不運だとか、最悪だと言ったりするけれど、それはやっぱり自分がまいた種なんだと思う。

このトピックの文面を見ているとよくわかるのだけれど、このトピ主様はまだ自分のことばかり考えているのがよくわかる。

・母親を見捨てるわけにもいかない。
・離婚したら生活できない。
・どうしたら夫に援助や支援を認めてもらえるでしょうか?
・謝罪は何度もしたのですが「口ならなんでも言えるよね」と全く受け入れてもらえません。

最後の、たった3行に、これだけぎっしり自分の要望が込められている。

レスにもあったけれど、「母親を見捨てるわけにもいかない」という気持ちはご主人も一緒であったはずであり、それを最後まで見捨てたのはトピ主様。
「口ならなんでも言えるよね」と受け入れてもらえないのは、最後まで見捨てたという過去の態度を見ているから仕方がない。

「7つの習慣」の著者として有名なスティーブン・R・コヴィー博士の言葉に、
行動でつくった問題を言葉でごまかすことは出来ない。
という言葉がある。

いくら言葉で過去の過ちを認め謝罪したとしても、行動によって失った信頼は、やはり行動によって取り返すしかないのだと思う。
謝罪することもその行動の一つだけれど、反省とは言葉の謝罪だけではなく、普段の態度に現れるものだと思う。
もしトピ主様が謝罪しても許してもらえないのであれば、それは失った信頼を取り返すほど、普段の態度に謝罪の念、反省の色が見えないのだと思う。
この場合はもう手遅れだと思って、自分のまいた種で実った実を回収するしかないと思う。
その中で、もしご主人の態度が変わるのであれば、許してくれたご主人に感謝だと思う。

これだけ悪い種をまいてしまえば、新しい良い種をまいても良い実は実りにくい。
悪い種をまきすぎて土壌が崩壊している状態だから、それは仕方ないと思う。

私たちもこのように、知らず知らずのうちに悪い種をまいてしまい、その実を回収せざるを得ないことがあると思う。
この因果の法則に気づかずに悪い種をまき続けてしまうと、再起不能となるぐらい、土壌が腐ってしまう場合がある。

時すでに遅し。

誰でもこのような、時すでに遅し、という体験をしたことがあると思う。
それも全て、普段どのような種をまいているかにかかっていて、どんなことにも因果の法則は適応されているのだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました