幸福度はどう感じるかで決まる。そうであれば、幸せになるためには一生懸命生きるしかないのではないか。

哲学

つい先日、私は夕方ごろにはその日自分がやるべき仕事の全てを片付けてしまい、あとは家族との時間に費やすことにしていました。
最近の私の過ごし方は、大抵仕事しているか、家族と過ごしているかのどちらかです。
しかしその日は予定より早く子供たちが眠りにつき、夜9時には私一人になりました。
仕事をしても良かったのですが、なんとなくその日は達成感があったのと、珍しい空き時間の嬉しさがあって、缶ビールを飲みながら、YouTubeでも見ることにしました。

この時に、言い表せないぐらい、ものすごい幸福感を感じました。

自分一人の時間をこんな贅沢に使えるなんてなんて幸せなんだろう、こんな時間の使い方、どれぐらいぶりだろうと。

先日このブログでアップした記事、
正負の法則とは?得るものがあれば失うものもある。失う準備が出来ている人だけが得ることが出来る。
でも書きましたが、人はあまりに幸せすぎると、日常にたくさんある小さな幸せを幸せだと感じなくなります。
これはある意味、大きな幸せを得た代償として、たくさんの小さな幸せを失ってしまったとも言えます。
しかし、逆に言えば、普段自由な時間などに制限をかけ、その代償を払っていれば、人から見れば当たり前の事でもものすごく贅沢に感じ、幸せを感じることが出来ます。
まさにこのことを実感しました。

これも以前、
話題の忘年会スルーは良い傾向。自分の時間の大切さを知るべきである。
という記事で書きましたが、ソフトバンクの社長、孫正義さんは学生時代、寝る時間以外は全て勉強に充てていたそうです。
トイレに行くときも、道を歩く時も教科書を離さず勉強していたそうです。
食事の時に至っては、教科書を見ながら視界の端の方にぼんやりと見えているものをフォークで突き刺し、突き刺さったものを食べるという徹底ぶり。
一度料理を見ながらゆっくり食事をしてみたいと思っていたそうです。
ただ、そんな贅沢な時間の使い方は許されないと思っていたそうです。

私たちから見れば、料理を見ながら食事をするなんてことは当たり前のことであり、むしろ料理を見ずに食事をする方が異次元であります。
しかし、極限まで自分の時間を一つの事に費やす人にとっては、それが当たり前であり、それが習慣になっているわけです。
孫さんは完全にその習慣が身についていて、まさにそうしなければ気持ち悪いというぐらいまで、勉強をすることが習慣になっていたのでしょう。

孫さんほどではないですが、先日は恐らく似たような感覚になりました。

私みたいに成功していない者がそのように贅沢な時間の使い方をするのは良くないことなのかもしれませんが、先日1時間ほど自分に与えた贅沢な時間は一つの経験として、今後も活きてくると思います。

昔は仲間と飲み歩き、必ず週末は深酒をして楽しんだものです。
確かにそれはそれで楽しかったのですが、先日感じた幸福感はそれを超越するものがあり、それとは次元が違いました。

私の努力などたかが知れていますが、きっと努力した分だけ、幸福感が返ってくるのだと思います。

ほとんど努力しないまま成功する人もいると思います。
それでも、成功すればそれなりにお金もあり、自由な時間もあるわけですから、それなりに幸せにはなれると思います。

しかし、一度極限まで努力して成功した人とそうでない人とでは、例え稼ぎや家族、仲間など、他の条件が全て同じでも、幸せの感じ方は違うと思います。

一度そのような経験をした人は、自由な時間に対しても感謝出来ます。
もちろん、家族や仲間に対しても感謝できます。

結局人はどんな環境にいるかで幸福度が決まるのではなく、どう感じるかで幸福度が決まるものだと思います。

そうであれば、やはり良い部分だけではなく、苦労を知っている人の方が確実に全ての物に感謝出来、幸福を感じることが出来るのではないかと思います。

例え大富豪になったからといって、必ずしも幸せではないと言われるのはこういう部分ではないでしょうか。

幸せを感じるためには、たくさんの経験が必要なのかもしれません。
そうであれば、例え何かが失敗に終わったとしても、死に物狂いで、引きちぎれるほどに一生懸命生きることが幸せへと続く道になるのかもしれません。

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