「今日も生涯の一日なり」福沢諭吉の名言から学ぶこと。

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名言

今日も生涯の一日なり

- 福沢諭吉 -
(幕末、明治の教育者、蘭学者、著述家、啓蒙思想家。慶應義塾大学の創設者。学問のすすめの作者。)

「今日も生涯の一日なり」
この言葉には、一日、一日を大切に、精一杯生きなさいという意味が込められている。

そしてこの言葉には深い意味があり、二つの意味が込められていると私は思う。

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明日はどうなるか分からない

この言葉を解説するとき、多くの場合、明日はどうなるか分からないから、今日一日を精いっぱい生きなさいという意味で解説することが多い。

これは、今日まで生きてきたけれど、人の命なんてものはいつ失われるか分からない。
だから、明日その命がなくなっても悔いがないよう、今日一日を精一杯生きなさいという意味で使われる。

これはアップルの創設者であるスティーブ・ジョブズの名言、
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」
と似た意味で解釈されている。

スティーブ・ジョブズは毎朝鏡の前で自分にこの問いを投げかけていた。
もしかすると福沢諭吉も同じように、今日一日の過ごし方を投げかけていて、そこからこの言葉が生まれたのかもしれない。

今日も限りある人生の中の一日である

そしてもう一つ、どんな日でも変わりなく、同じ生涯の一日なのだから精一杯生きなさいという意味があると思う。

私たちはつい、
「昨日頑張ったんだから、今日くらいはやらなくていいか」
「今日くらいはサボってもバチは当たらないだろう」
などと考え、自分に言い訳をしてしまいがちだけれど、それを一喝するような言葉なのではないかと思う。

今日も生涯の一日であり、例えどんな日であっても、自分の生涯の一日であることには変わりない。
昨日頑張ったとしても、今日は気分が乗らなかったとしても、生涯の中で同じ大切な一日であることには変わりない。
だから、どんな日であろうと自分の生涯の一日である今日という日を大切にし、精一杯生きなさい。
そのような意味が込められているように感じる。

生涯とは、日々の積み重ねの集大成である

福沢諭吉がどのような意味でこの言葉を遺したのかは分からないけれど、私は、明日はどうなるか分からないから精一杯生きなさい、というよりは、今日も限りある人生の中の一日であり、例えどんな日であっても、自分の生涯の一日であることには変わりない、という意味ではないかと捉えている。

生涯とは、日々の積み重ねの集大成であると思う。

どんな日であろうと一日一日を精一杯生きることで、今日の自分自身、未来の自分自身、そして生涯を通じて、自分自身の人生を素晴らしいものにしていきなさいという意味だと思う。

自分の生涯のあり方

いずれにしても、福沢諭吉の言葉は、一日、一日を大切に、精一杯生きなさいという意味となる。

そうであれば、まずは自分の生涯の目標やあり方を決める必要があると思う。

それが決まっていなければ、充実した生涯の一日を過ごすことは難しい。
目的地が決まっていなければ、何に精一杯生きていいのか分からなくなると思う。

精一杯生きるためには、自分が何者で、どのような目的を持ち、生涯をどのようなものにしたいのか、これを決めるべきだと思う。

まずはその方向に向かって歩くべきであり、もし違っていれば方向を変えればいい。

ただ何の目的もなく歩き続けることが出来るほど人間は強くはない。

何をやっても中途半端になってしまうという人は、決して自分の意思が弱いとか、軟弱であるというわけではなく、自分の目標やあり方が明確ではないだけなのかもしれない。

マラソンは42.195kmという明確なゴールがある。
けれど、もしそのゴールが不明確であれば、どれだけ凄いマラソンランナーでも途中でリタイアするか、そもそもレースに出ようとさえしないと思う。

ゴールが決まっていなければ、人はなかなか進むことは出来ない。

今日一日を精一杯生きるためには、今日一日を精一杯生きる目的が必要だと思う。
逆に言えば、自分の生涯のあり方を決めることで、一日、一日を精一杯生きることが出来るのだと思う。

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