ついこの間、ふと考えたことがある。
それは、もしも自分が病気になって余命が宣告されたら、私は何を思うだろう、ということ。
あなたは考えたこと、ありますか?
もしも今、私が余命宣告されたなら、
もっともっと子どもたちと全力で遊んでおけばよかったと思うだろう。
もっともっと全力で妻を愛しておけばよかったと思うだろう。
もっともっと何事にも全力で取り組んでおけばよかったと思うだろう。
まだまだやっておけばよかったと思うことがたくさんある。
今の私は、このまま死にたくない。
そう思うということは、
まだまだ自分の人生、生き方に満足していないということなのだろうと思う。
もっともっと何事も全力でやらなくては。
そう考えると、時間が惜しい。
時間がいくらあっても足りない。
もっともっと時間を大切に使わなければならないという気持ちになる。
でも、実際はまだまだ時間を大切に使えているとは言えない。
何もかも全力で取り組んでいるとは言えない。
自分にはまだまだ時間が残されていると思うからだろう。
もし、もうすぐ終わりが来ることを知れば、
あともう少しだけ、あともう少しだけでも、と思うのが人の常である。
そのもう少しだけ、というそのもう少しの中に、
あなたの本当にしたいこと、本当に大切にしているもの、本当に愛しているものが浮かび上がるのだろう。
もう少しだけでも子供の顔を見ていたい。
もう少しだけでも妻と笑い合っていたい。
人は最期が迫ってきてからようやく気づくものなのだろう。
自分のしたいことに。
大切なものに。
愛しているものに。
そして、時間とは限られたものであるということに。
そうなって初めて、もう少しだけ時間がほしいと思うのだろう。
一日一日を、それぐらいの思いで真剣に生きていきたい。
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