前田慶次の名言に学ぶ。自由を求めるのであれば、死と背中合わせの責任と覚悟を持つことである。

名言

何者にも縛られず、自由に生きていきたいと思ったことは無いでしょうか。
私は常々思い続けています。

ほとんどの人がより良い生活、そして自由を求めて、どのようにすればその境地にたどり着けるのかと考えて生きているのではないでしょうか。

もちろん、そんなに自由でなくてもいいから、それなりに不自由なく生きていければいいと思う人もいるでしょう。
しかし、そういう人でも自由であれば自由であるほどいいはずです。
人は誰でも他人や環境、経済的な部分に縛られたくはないものです。

しかし、自由を求めるのであれば、それなりの代償を支払わなければなりません。

自分では何もせず、自由がいいと言ってもなかなかそうはいきません。
中には、何かに縛られることに疲れて、
うちの会社は・・・
あの人は・・・
お金がないから・・・
時間が無いから・・・
という風に、自由を縛る何者かに対して愚痴をこぼす人も多くいるでしょう。

しかしもちろん、それら何者かに責任があるわけではなく、自分自身に責任があるわけです。

もし本当に自由がいいというのであれば、自由になるためには絶対に必要で、それでいて簡単に自由になれる方法があります。

それは、自分自身の発言や行動、全てに責任と覚悟を持つことです。

どんなことでも、自分の全の言動に責任と覚悟を持っていれば、自分が思う方向に進めばいいし、進めるわけです。
しかしそうでないということは、それは会社や他人、環境に少なからず依存していると言えるでしょう。

私の好きな漫画に原哲夫さんの描いた「花の慶次」という漫画があります。
戦国時代の武将で、傾奇者と呼ばれる自由な生き方をする主人公、前田慶次の話なのですが、その中に、自由には責任と覚悟がいるということを象徴してくれているセリフがあります。

自由に生きる武将、前田慶次に対して、松田慎之助という登場人物がこのように言います。

慶次殿はいいなぁ。好きなときに寝、好きなときに起き、好きなことだけをして死ぬんだ。

それに対して前田慶次は、

そんなに自由に生きたかったら乞食(こじき)にでもなるさ。
だがその自由も野たれ死にの自由と背中合わせだがな。

自由に生きている人を見れば人は

「あの人はいいなぁ自由に生きていて」

と言います。
それをその人の性格だとさえ思っているかもしれません。

しかしそうではなく、自由に生きている人はその分、自分の生き方に責任と覚悟を持っているわけです。
その覚悟を持っているから、自由に生きられるわけです。

その責任と覚悟は、ほんの小さな出来事であっても違いが出ます。

他の人に嫌われないだろうかと考え、自分の意見を押し殺して人に合わせたり、
常識に外れてはいけないと考え、周りの様子をうかがったり。
ほんの少しの責任と覚悟を持っていなかったばっかりに、行動に大きな差が出来るわけです。

自由に生きるとは、自分の言動に責任と覚悟を持つこと以外の何ものでもありません。
そうであれば、私たちは自分の心の持ちよう一つでいつでも自由になれるわけです。

経済的な自由や、時間的な自由を持つには少し時間がかかるかもしれませんが、まずはこの責任と覚悟を持つことで、その道が開かれると言えるでしょう。

死ぬこと以外はかすり傷と言われることがあります。

私もまさにそう思っていて、死にさえしなければ、どんな状況でも這い上がれるし、何度でもやり直しが聞くはずです。
そう思えば、どんなことにでも責任と覚悟を持つことが出来るはずです。

その覚悟が無いばかりに、一度しかない自分の人生を、自分らしく自由に生きられないのであれば、それは物質的に生きているだけで、自分という人間は死んでしまったに近いかもしれません。

そうであれば、やはり私は、たとえ大きな傷を負ったとしても、自分らしく生きていく道を選んでいきたいと思います。

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