目に見えることだけで物事を判断してはいけない。その裏側を見ることで、物事の捉え方は変わる。

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自己啓発

人はいい意味でも悪い意味でも嘘つきである。
人はいい意味でも悪い意味でも我慢する。
人はいい意味でも悪い意味でも空気を読む。
人はいい意味でも悪い意味でも自己を隠し、本心を出さない。

そうであれば、目に見えることだけで物事を判断してはいけない。

世の中、目に見えないことはとても多いし、むしろ目に見えないことの方が多いと思う。
目に見えていることはほんの氷山の一角に過ぎないと思う。
そう考えれば、目に見えていることのもう一歩先を見る必要があると思う。

例えば、私たちは冷たく当たられたり、攻撃されたりすると怒りを覚える。
やるべきことをやらない人を見ると憤りを感じる。
けれど、これらは目に見える部分であって、物事の表面に過ぎない。
ここでもう一歩先を見て、その人はなぜ自分に冷たく当たるのか、その人はなぜやるべきことをやらないのかを見つめることが大事だと思う。
すると、何かがあってイライラしているだけであったり、体調が悪くてやるべきことが出来なかっただけであったりすることもある。
上司に理不尽に怒られたのかもしれない、前日にフラれたのかもしれない、家庭環境が上手くいっていなくて精神的に余裕がないのかもしれない。
体調不良を押して仕事に来ているのかもしれない、生理痛がひどいのかもしれない。

もしこのように、目に見えていることのもう一歩先を見ることが出来れば、その表面の出来事に対しての捉え方は変わってくると思う。

スティーブン・R・コヴィー博士の著書、「7つの習慣」ではこんな話が紹介されている。
それはスティーブン・R・コヴィー博士がニューヨークの地下鉄に乗っていた時の話。

“車内は静かで平和そのものだった。そこに突然、一人の男性が子供たちを連れて乗り込んできた。子供たちは大声で騒ぎだし、車内の平穏は一瞬にして破れた。男性は私の隣に座り、目を閉じていた。この状況にまったく気づいていないようだ。子供たちは大声で言い争い、物を投げ、あげくに乗客の新聞まで奪い取るありさまだ。迷惑この上ない子供たちの振る舞いに、男性は何もしようとしない。
私はいら立ちを抑えようにも抑えられなかった。自分の子供たちの傍若無人ぶりを放っておき、親として何の責任も取ろうとしない彼の態度が信じられなかった。他の乗客たちもイライラしているようだった。私は精いっぱい穏やかに、「お子さんたちが皆さんの迷惑になっていますよ。少しおとなしくさせていただけませんか。」と忠告した。
男性は目を開け、子供たちの様子に初めて気づいたかのような表情を浮かべ、そして、言った。「ああ、そうですね。どうにかしないといけませんね・・・病院の帰りなんです。一時間ほど前、あの子たちの母親が無くなって・・・これからどうしたらいいのか・・・あの子たちも動揺しているんでしょう・・・」“

男性が最後の言葉を発した瞬間に、スティーブン・R・コヴィー博士は子供たちの様子がまったく違って見えたと書かれている。
もしそのような現場に居たら、私だって起きている事態が違って見える。
恐らくほとんどの人がそうだと思う。

この話からも分かるように、表面に見えている出来事の裏には、もっと大きな出来事があることもある。
表面だけしか知らなければ、スティーブン・R・コヴィー博士も、私も、そしてほとんどの人が怒りの感情しか湧いてこなかった思う。
しかしその表面ではない部分が見えると、驚くほど捉え方は変わってくる。

もし怒りを感じたり、不満を感じたりしたときは、このことを思い出してみるといいと思う。
表面に見えていることが全てではなく、その裏には人それぞれの事情がある。

例えその裏側、もう一歩進んだ相手の感情が見えなくても、何かがあるのかもしれないと思うだけで、その表面に起こっている出来事の捉え方が変わってくる。

冒頭に述べたように、人は何もかもをさらけ出すわけではないから、表面に浮かび上がってくる出来事はほんの一部でしかない。
例え裏側が読み取れなくても、そこまで見ようと配慮することで、自分の捉え方や見え方が変わってくる。
捉え方や見え方が変われば、湧いてくる感情も変わり、行動も変わってくる。

これは、自分にとっても、そして相手にとっても、とても重要な事だと思う。
そしてそれが人としての思いやりであり、配慮であり、器の大きさであり、人格であると思う。

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