人に起こる現象さえも左右する網様体賦活系(もうようたいふかつけい)とは?

自己啓発

以前にこのブログで、

この世の現象それ自体には良いも悪いもない。あるのは、その現象を見て私たちがどのように感じるかということだけ。

という記事を書いた。

その記事で、現象それ自体に正解、不正解があるわけでも、良い悪いがあるわけでもなく、正解、不正解、良い、悪いを決めるのはあくまで見る側の人間の思考、気持ち、心持ち次第であると書いた。
そしてその思考、捉え方次第で、行動が変わり、習慣が変わり、そして未来は大きく変わっていくのだと思う。
つまり、現象それ自体を全て自分の思い通りにすることは出来ないけれど、その現象をどのように捉え、どのように行動するかを選択することは出来るわけで、それ次第で先の現象をある程度自分で選択することが出来ると思っている。

けれどそれだけではなく、意識的にせよ無意識的にせよ、人は起こる現象さえもある程度自分で選択していると思う。

少し難しい話になるけれど、脳には網様体賦活系(もうようたいふかつけい)というものがある。
これは医学的、あるいは脳科学的なものになると思うので、私も詳しくは説明できないけれど、簡単に言えば、脳は自分が興味を持ったこと、意識したこと、必要だと判断したことだけをピックアップして取り込むという習性がある。

例えば、自分が欲しいと思っている車があれば、街中でやたらその車が目につくようになる。
あるいは、転職した途端、自分の仕事に関連したものが目につくようになる。
時計屋さんなら人のはめている時計が目につくし、靴屋さんなら人の履いている靴が目につく。

このように、意識的にせよ無意識的にせよ、自分が興味を持ったこと、意識したこと、必要だと思ったことが脳にインプットされ、目につくようになり、自分の思考に取り込まれる。

それと同じで、類は友を呼ぶという言葉があるように、人は自分と同じことに興味を持っている人、価値観が同じ人、話していて共感できる人同士で人間関係を築く習性がある。
これも、網様体賦活系の一種であるかもしれない。

つまり、意識的にせよ無意識的にせよ、人は自分が見たいものを自ら選択していて、居たい環境を自ら選択していることになる。
逆に言えば、見たくないものに関しては自ら目を塞ぎ、居たくない環境には自ら身を置かないのだと思う。

意識的にせよ無意識的にせよ、それらは外部から与えられたものではなく、間違いなく自ら選択したものだと言える。

そうであれば、もし今の自分に満足していなかったり、変わりたいと思っているのであれば、このことに気づき、興味を持つこと、意識すること、必要なことを自ら意識的に考え、選択していかなければならないと思う。

プロセスを変えなければ結果は絶対に変わらない。
1+1=2であって、何度計算しても2という結果は変わらない。
けれど、1+1を1+2に変えてみたり、1-1に変えてみたり、1×1に変えてみることは出来る。
ただそのためには、前述のような人間の性質を考えれば、自ら意識的に変えていかなければ、何も変わらないことが分かると思う。
人は無意識に選択している限り、自分が興味のあることばかりに興味を持つし、過ごしやすい環境にばかり身を置くことになる。
意識的に行動しない限り、何も変わらない。
けれど、逆に言えば意識的に行動し、身に付いたその習慣はなかなか変わらない。
つまり、自分が思う方向に興味や意識、環境を持っていき、習慣として根付いたものはなかなか変わらない。
そこまで持っていくことが出来ればこっちのものだと思う。
今まで興味を持っていたことに対して興味を持たなくなるだろうし、興味を持つべきことに興味を持つことが出来る。
今まで一緒に居たいと思っていた人といることの方が違和感を感じるようになると思う。

そう考えれば、意識的にせよ無意識的にせよ、やっぱりほとんどの現象は自らが選択してきたことの結果なのだと思う。

どうせなら、意識的に選択したことの結果を得たいと私は思う。

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