「盗人にも三分の理」の意味とは?理解してほしければまず相手を理解すること。

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盗人にも三分の理の意味

盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり。ぬすっととも読む。)
これは、盗人にも盗みをしなければならない理由があるということであり、盗みを働くのもそれ相応の理屈があるということ。
またそのことから、どんなことでもこじつければなんとでも理由をつけることは出来るという意味で使われる。

盗人にも三分の理のもう一つの意味

前述したように、盗人にも三分の理の本来の意味は、どんなことでもこじつければなんとでも理由をつけることは出来るという意味で使われる。

しかし、この言葉にはもう一つの意味がある。

それはこの言葉通り、悪事を働く者にもそれなりの理由があるという意味。
例え盗人であったとしても、盗人には盗人なりに、盗みをしなければならない理由があるということ。
そのことから、どれだけ間違ったことをした人でも、本人にはそれなりの理由があるのだから、そこを理解してあげたり、共感してあげることが大切だという意味で使われることもある。

盗人にも五分の理を認める

デール・カーネギーの著書、『人を動かす』の中に

「盗人にも五分の理を認める」

という言葉が書かれている。

前述の、どれだけ間違ったことをした人でも、本人にはそれなりの理由があるのだから、そこを理解してあげたり、共感してあげることが大切だということを、実例を交えてとても分かりやすく解説してくれているので紹介させてもらいたい。

“1931年5月7日、ニューヨークで凶悪な殺人犯、2丁ピストルのクローレーが逮捕された。
その逮捕には、150人の警察隊が動いたと言われている。
周囲のビルの屋上には機関銃がすえつけられ、住宅街にピストルと機関銃の銃声が1時間以上にわたってとどろく事件となった。
クローレーはソファーのかげから警官めがけて盛んに発砲を繰り返した。
最終的には警官が屋根に穴をあけ、催涙ガスを送り込み、逮捕に至った。
しかしこの事件のきっかけは、田舎道に自動車を止めてガールフレンドを相手に怪しげな行為にふけっていたことにある。
その光景を見た警官がクローレーに「免許証を見せたまえ」と言い、それに焦りを感じたクローレーはいきなりピストルを取り出し発砲した。
そしてクローレーはその警官からピストルを奪い、そのピストルでさらにもう一発撃ってとどめをさした。
それがどんどん大きくなり、今回の逮捕劇になった。
そしてクローレーが刑務所の電気椅子に座らされたときに発した言葉は、「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ」という言葉だったという。”

このように、犯罪者の中にも自分が悪人だと思っていない人は意外と多い。

自分が悪いことをしていると分かっていて犯罪を犯す人もいるけれど、自分は全く悪いことをしていない、正当な理由があると考える犯罪者も決して少なくない。
それどころか、自分は世のため人のために尽くしているという人もいる。
新興宗教の教祖なんかを見ると、そのような人が多いことが分かりやすいと思う。
世間的には悪者だと思われるような人であっても、その人たちにとってみれば自分の行いは正義であり、正義のために人生をささげているという人も少なくない。

盗人の理までもを理解しようとする心構えが大切

このように、どれだけ悪事を働く人であっても、その人なりの信念や理屈がある。

私たちがよく知っていて、一番わかりやすいのは、映画「火垂るの墓」ではないかと思う。
主人公の清太が、妹の節子のため盗みを働くシーンは多くの人が知っていると思う。
その姿には多くの人が理解を示すと思う。
むしろ、最後に主人公の清太をボコボコに殴る大人が悪い奴に映った人も多いと思う。
けれど盗人は清太の方であり、どんな理由があっても許されない行為のはず。
それでも私たちはその行動に理解を示してしまう。

その理由は恐らく、私たちが裏の一部始終まで知っていることにあると思う。

あれは映画だから、2人が苦労している、節子が栄養失調になって死にそうになっているという、裏の一部始終まで見えているから、清太の行動には理解を示してしまう。

つまり、盗人にも三分の理の、三分の部分を知っているからだと思う。

しかし残念ながら現実世界では人の裏はもちろん、その人の心理さえ分からない。
だからこそ、その人の心理、裏側、三分の部分を理解しようとする心構えが大切だと思う。

もしそのようにして、その人のことを理解することが出来たならば、共感してあげることはもちろん、手を差し伸べることも出来るかもしれない。
また、逆の立場から見れば、もしそのように理解を示してくれる人が居たならば、どれだけ心が救われることだろうか。
この相互関係こそが、人を救い、信頼関係を生み、人を動かす原動力になると思う。

理解してほしければ理解すること

ここまで、盗人にも三分の理の意味と、そこを理解することが大切だと述べてきたけれど、なぜそれが大切なのかというと、もちろんその人を救ったり、手を差し伸べることが出来るというのも大事だけれど、それよりも何より重要なことは、相手を理解することで、初めてこちら側のことも理解してもらえるということにある。

このことについて、スティーブン・R・コヴィー博士の著書、『7つの習慣』にはこのように書かれている。

“あなたが今いる部屋の空気が突然どんどん吸い出されていったら、この本への興味を持ち続けられるだろうか。
本のことなどどうでもよくなるだろう。
どうにかして空気を取り込もうと、生き延びることがあなたの最大の動機になる。
しかし今、空気はある。
だから、あなたにとって空気は少しの動機づけにもならない。
満たされている欲求は動機づけにはならないのだ。
これは人間の動機づけに関するもっとも的確な洞察の一つである。
人の動機になるのは、満たされていない欲求だけなのである。
人間にとって肉体の生存の次に大きな欲求は、心理的な生存である。
理解され、認められ、必要とされ、感謝されることである。
共感して話を聴いているとき、あなたは相手に心理的な空気を送り込んでいる。
心理的な生存のための欲求を満たしてあげることによって初めて、相手に影響を与え、問題の解決へと向かえるのである。
誰しも心理的な空気を必要としている。
この大きな欲求こそが、人と人とのあらゆるコミュニケーションで大きな鍵を握っているのである。”

このように、相手に何らかの影響を与えたいときは、自分の意見を理解してもらおうとするのではなく、まずは相手を理解することが何よりも大切だと言える。

一般的に言われるダメな部下、ダメな子どもなどに対して、「全然言うことを聞かない」「あいつには響かない」などと言うけれど、スティーブン・R・コヴィー博士の言葉を借りるなら、
それは空気がない状態でこの本を読めと言っているようなもので、何度言おうが、どのように伝えようが、相手にとってはそういう問題ではない。
そこで必要なのはまず相手に空気を与えてあげること。
そうすれば、相手も言われた通り本を読むかもしれない。
それと同じで、まずは心理的な空気を与えてあげて、心を満たしてあげることが重要になる。
そうすることで初めて、相手も言われた通りの行動をとる余裕が出てくるのだと思う。

つまり、自分のことや自分の言い分を理解してほしければ、まず相手を理解する必要がある。

盗人だろうと、どんな悪党だろうと、どれだけ一般的にダメな人間だと言われている人だろうと、理解を示し、心理的な空気を与えてあげることで、人の心は動きやすくなる。

まとめ

もう一つ、『7つの習慣』に書かれているスティーブン・R・コヴィー博士の言葉をお借りしたい。

“誰しも、自分は物事をあるがままに、客観的に見ていると思いがちである。
だが実際はそうではない。
私たちは、世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界を見ているのであり、自分自身が条件づけされた状態で世界を見ているのである。”

つまり、私たちは客観的に世界を見ているつもりでも、自分の思考、考え、捉え方を持っているがために、自分の思うがままに世界を見ていることになる。
ある人にとってはそれが正しいと感じることでも、またある人にとっては間違っていると感じる。
同じ事実を見ているのに感じ方が違うのは、その人たちの見方に違いがあるからに他ならない。

だから、一般的にはどれだけ悪事を働く人であっても、その人にとってはそれが正義であると思っている場合もあり、どれだけ人に間違った行動だと言われても、その人にはその人なりの見方や考え方、信念があるため、そう簡単にこちらの言い分は理解できない。
だからこそ、まずは相手の見方や考え方を理解することに徹し、心理的な空気を与え、信頼関係を築くことが大切になると思う。

人は自分のことを理解してもらえると、心を開きやすくなる。

もし今後、この人は間違っていると思ったり、自分の言い分を聞いてもらいたい、理解してもらいたいと思った時は、「盗人にも三分の理」という、この言葉を思い出せば、道はひらきやすくなると思う。

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