親の育て方の責任は大きい。考えることの出来ない人たち。

教育

うちには2歳の男の子と5歳の女の子がいるのですが、とにかく可愛い(笑)
子を持つ親はみんなそう思ってると思います。

お姉ちゃんの方はどちらかと言えば優しくて、空気の読める子。
でもそれは長所でもあり短所でもあって、なんでもかんでも人に譲ってしまうクセがついてしまっています。
本当は自分がやりたいことを言い出せずに人に譲っているところをよく見ます。

対する弟の方は絵に描いたようなやんちゃ盛りの2歳で、とにかく主張の激しいワガママさんです。

どちらもクセの強い、私の大好きな子どもたちです。

どんな大人になるのやら

そんな子どもたちを見ていると、よく思うのが、この子達はどんな大人になるのだろう、ということ。

その中で、親としてこういう風に育ってほしいとか、こういう風にはならないでほしいとか、ある程度考えてしまいます。

私が望むのは、どんなことをやってもいいから、自分で考えて行動できる人間になってほしいということ。

今の世の中、そして今後はもっと、こういう人間でないとやっていけないのではないかなと思ってます。

自分で考えて行動出来ない大人たち。

しかし今、自分で考えて行動出来る大人がどれだけいるのか、疑問に思います。

言い方は悪いかもしれませんが、大事に大事に育てられたんだなと思ってしまう大人たちをたくさん見ます。

そういう人たちを見ると、今まで自分で何かを考えて行動するということがなかったんだろうなと思ってしまいます。

普段から考える習慣が無いんだろうと。

別にそういう人たちを全否定する気は無いですが、やっぱりそういう人たちは自分で考えることが出来ない分、誰かに指示をしてもらえないと動けなかったり、自分で何かを創造することが出来なかったりする。

だから、そういう人たちは自分のやりたいことや目標を持つということがほとんどない。
自分で目指す方向を考えるということをしないのだから、ある意味当然なんだろうと思います。

それでは人間としての魅力は磨かれないし、誰かに必要とされる人間にもなれないんだろうと思う。

人間の最大の武器であり、魅力であり、大切なことは、間違いなく考えることなのです。

親の育て方の責任は大きい。

なぜ自分で考えることが出来る人間と、自分で考えることの出来ない人間がいるのでしょう?

それは、自分で考えることの出来ない人は今までの人生で、自分自身で何かをやってみようとか変えようとか、あるいは今の状況に疑問を持ったり不満をもったりしなかったからではないかと思います。

自分が与えられた環境から出てみようとしなかったのではないかと思います。

言ってみれば、動くことは怖いし面倒だから、自分の安心領域から抜け出すことを拒否し続けてきた結果なのです。

自分自身の習慣がその思考停止状態の自分を作り上げてきたのです。

だから当然、自分自身の責任です。

しかし、もっと掘り下げて考えると、子供の頃の親の教育に影響を受けている部分は大きな割合を占めると個人的には思っています。

つまり、人の人格形成に関して、親の育て方の責任はとても大きいものがあるということです。

あれはダメ、これはダメ。それはいいよ。

これは私自身が注意しなければいけないと思っていることなのですが、教育で良くないと思うのは、子供のすることによく、あれはダメ、これはダメと言ってしまうことです。

親は子供を正しい方向に導きたいと思ってしまい、ついつい子供のやることにダメと言ってしまいがちです。
また反対に、それはいいよ、と言ってしまったり。

それはいいけどあれはダメ。
あれはいいけどこれはダメ。

こういうやり取りを繰り返していると、これはダメなんだ、これはいいんだ、と理解する前に、ママがいいって言ってたからいいんだ、パパがダメっていったからダメなんだ、という風に、子供にはインプットされてしまうかもしれません。

これは親が子を導きたいという思いとは裏腹に、子供が考える機会を親が「ダメ」「いい」という言葉で奪ってしまっているのかもしれません。

とは言え、親にはダメなこと、いいことが判断出来てしまうので、どうしても子供がダメなことをしてしまう前にダメと言ってしまいますよね。
その代替として、こっちならいいよ、と言ってしまったり。

ある程度は仕方ないことだと思います。

少なくとも、「ダメ」「いい」という判断を親が下してしまったのであれば、なぜそれがダメで、なぜこっちならいいのか説明してあげることが大切だと思います。

そうすることで、徐々に子供の中にもある程度の判断基準が出来あがり、自ら「ダメ」「いい」を考えられるようになってくるはずです。

子供が好きなことを大切に。

そして子供が一番想像力と好奇心を働かせるのは、自分自身が大好きなことに触れているときだと思います。

そのときに親が理解を示してくれると、子供はもっともっと自分から動きだすでしょう。

例えば、野球が好きならもっともっと野球について知りたくなったり、上手くなりたくなったり。
歌が好きならもっと色んな歌を覚えたくなったり、上手に歌えるようになりたくなったり。

なんでも同じだと思います。

もっとこうなろう!もっとこうしよう!

このプロセスが、自ら行動しようという原動力になり、想像力を働かせ、考える能力をつけさせます。

そこで万が一親が理解を示さないようなことがあれば、子供は一気に消極的になり、行動しない、考えないという方向に進んでいってしまうかもしれません。

こんな子になってほしいということ自体が親のエゴかもしれない。

そして最近思うのは、こんな風に育ってほしいとか、こんな子になってほしいとか、それ自体が勝手な親のエゴなんじゃないかということです。

もちろん、親として子を導くのは大切なことですし、親の義務でもあると思っています。

しかしそれが行き過ぎると、自分本位になってしまい、子供を導くではなく、子供を縛り付けることになってしまいます。

そして親が子を縛りすぎた結果が、自分で考えることが出来ない子を生むことになっているんではないかと思います。

最後にそれを象徴するような、私の知人の話をしたいと思います。

知人の職場で、自分では全く何も考えられない23歳のアルバイトの子がいたそうです。

一つの仕事を終えたら、何も言わずに、何もやらずに、ただただデスクに座って次の指示を待ち続けているとのこと。

そのことについて知人が、

「仕事を終えたのなら、せめて終わったという報告ぐらいしなさい。」

と注意し、新たな指示を出し、その日のアルバイト君の仕事は終わったそうです。

そしてアルバイト君が帰宅後に、知人のもとにアルバイト君の母親から電話でがあったそうです。

「退職させます。」

後で知ったそうなのですが、同じ職場にたまたまそのアルバイト君の同級生が働いていたようで、
その子が言うには、中学校の時、その子の母親は学校でも有名なモンスターペアレントだったそうです。

その話を聞いたとき、私は会ったこともないそのアルバイト君の家庭の状況が目に見えるような気持ちでした。

そのアルバイト君が何も考えられない子になってしまったのは、きっと親がその子に考える隙を与えないほどに助言し、養護し、その子の考える機会や行動する機会を奪った結果なんだろうと確信しました。

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