私たちが生まれながらに持っている良心は、神の声なのだろうか。

哲学

あなたは神を信じるだろうか。
このように書き始めると、なんかの神様を信じよという、何かの勧誘かと思われるかもしれない。
しかし最初に言っておくが、私は神様を信じようという気はない。
ただ、日ごろの行いが良いとか悪いとか、バチが当たるなどと言われるように、日ごろの行いによって良い結果を得たり悪い結果を得ることは、事実としてあると思う。

例えば、車の運転一つとっても、一切自分の前に車を入れさせまいと必死になる人や、他人の迷惑を考えずに割り込んだり、煽ったりする人もいる。
それに対して、いつも「どうぞ」とばかりに譲る人もいる。

もし神様がいたとして、これらの人たちのどちらを好むかと言うと、やはり後者であると思う。
また、神様でなくたって、あなたがもしこれらの人のどちらを好むか言うと、やはり同じ結果になると思う。
もし仮に、あなたも、ほかの誰も見ていなかったとしても、やっぱり前者に対してはいつかバチが当たると感じるのではないかと思う。

そう考えれば、人が見ていようが見ていまいが、日ごろの行いが人生の結果を左右すると考えられるのではないだろうか。
実はこの、なんとなくそう思う、という感覚はとても重要だと思う。
この感覚こそ、世の中の原則を感覚的に理解しているということなのだと思う。

日ごろの行いが結果を左右するのであれば、やはり神様というものはいるのだ。
とまでは正直言わない。
それは分からない。

実はこれらの例で、なんとなく前者はいつかバチが当たると思う人は、神様がどうのこうのではなくて、人格の大切さを感覚的に感じている人なのだと思う。

要するに、例の前者と後者で考えれば、間違いなく後者の方が人格は高いと言える。
逆に前者は人格が低いと言える。

人格が高い人はやっぱり人にも好かれやすいし、物事が上手く運びやすいと言える。
一方人格が低い人は、いくらスキルが高く、物事を上手くこなしていたとしても、いずれ化けの皮が剥がれるんじゃないかと思う。
きっとみんなそう思うから、いずれバチが当たる、という感覚になるんだと思う。

つまり、神様がいるかいないかなんてことは分からないけれど、日ごろの行いによって人格がどうなるかが左右されるわけで、それが人生の結果としてハッキリと出るんだと思う。
だからある意味神様を信じて、日ごろの行いを改めるというのは結構大切なことなんだと思う。

さっき、なんとなくそう思う、という感覚はとても重要だと思う、と書いたけれど、これがいわゆる良心とか、道徳心という、人が生まれながらになぜか持っている感覚で、人格を高めるためには、これらの声を聴くことが大切なんだと思う。

「良心の声はいかにもか細くもみ消すことは簡単である。しかしその声はあまりにも明解で聞き間違えることはない。」
という、フランスの批評家であり、小説家であるスタール婦人の言葉がある。

私たちは大なり小なり、良心の声をもみ消した過去があると思う。
しかし、良心の言葉はいつも正しい。
自分の意志とは全く関係なく、いつも世の中の原則を伝えてくれるから。
その自分自身から放たれている良心の声を、神様からの声だととらえる人もいると思う。
良心の声というのは、自分の意志でもなく、誰もが生まれながらに持っているものだから、そう考えることも出来ると思う。
真相は分からないけれど、この良心の声を聴くために神様を信じるなら、それもいいと思う。

良心の声というものは、自分が人間としてどうあるべきか、また自分自身が自分という人間であるためにどうあるべきかを教えてくれる声だと私は思っている。
この声さえ聞いていれば、道を踏み外すこともないと思う。

しかし、スタール婦人の言葉にもあるように、良心の声とはとてもか細く、もみ消すことは簡単。
だからこそ、良心の声をしっかり聴く人と、良心の声をもみ消す人の差はやがてハッキリ出てくると思う。

良心の声をもみ消し続けている人は、やがて良心の声が聞こえなくなってくる。
そうなると、もう収集がつかない。
どこまで落ちていくか分からない。
周りにそのような人が数人はいると思う。

要するに、その声が神様からの声だと思うか、人間の原則だと捉えるかの違いであるだけで、神様を信じようが信じまいが、どちらでもいい。
良心の声を聴き、人間としての原則を守って生きていくことで、人格は磨かれ、結果が出るのだと思う。

最後にもう一つ不思議な話をしたい。
私の経験と、周りを見ている感覚では、いくらスキルがあっても能力があっても、人格が低い人はお金持ちになれないことが多いと思う。
これもなんとなくの感覚で、全く根拠はないけれど、きっと人格や器といわれるキャパがない人には、それを与えたところで上手く使えないから、あるいは良くない方向に使ってしまうからなのかなと思ってる。
それは、いくら努力していて、人格を磨いている人でも同じで、なかなか大きなお金や成功というものは手に入れられない。
けれど、成功を信じ、あきらめずに努力し続けた人には、まるで神様がギブアップしたかのように、大金や成功が流れてくる。
現に、成功している人の多くは、徐々に成功するのではなく、ある日突然チャンスをつかんだり、ある時を境に一気にのし上がっていくことが多い。
それはまるで、そこまで鍛え上げてきた人格を神様が認め、「この人にならいいだろう」と、報酬を払うかのように思える。

と、まぁ感覚的なことばかりで、とりとめのない記事になってしまったけれど、神様を信じていようといまいと、やっぱり原則は変わらないと思う。
人格が低いものに永続的な成功はなく、人格を磨き続けたものにしか永続的な成功は与えられない。

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