渋沢栄一の名言。人間にはいかに円くとも、どこかに角がなければならぬ。

名言

人間はいかに円くとも、
どこかに角がなければならぬもので、
余り円いとかえって転びやすいことになる。

- 渋沢栄一 -
(日本の実業家、大蔵官僚。約500社の企業を設立し、日本近代資本主義の父と呼ばれる。)

新一万円札の肖像に選出されたとして一躍注目を集めた渋沢栄一の名言です。

この名言を思い出したきっかけは、下のcitrus(シトラス)の記事を読んだことでした。

citrus

とある大学院を卒業した、優しくて優秀な人間が、優しすぎるがゆえに、勤めていた某IT企業で鬱になり、退職をせざるを得なくなり、現在はアルバイトをしているそうです。

それに対して、こんなに優しくて優秀な人間を活かせない日本に未来はない、とTwitterでツイートされた内容が話題になりました。

このツイートには、
「正直者が馬鹿を見るって本当に理不尽だと思う」
というように、賛同する声がたくさん寄せられたそうです。

しかし逆に、
「世界中どこ行っても同じだと思います。 色々な環境への環境適応能力も必要かと」
というように、仕方ないという声や、優しいだけでは社会で通用しないという声もあったそうです。

この記事を読んで、私は今日紹介した渋沢栄一の言葉を思い出したわけです。

優しさを持ち合わせていたり、真面目さを持ち合わせていることは非常に大切であり、必須だとも思っています。
しかし、それだけではダメだということもまた現実であるわけです。

優秀であったり、真面目であったり、優しさであったり。
いくらそのような魅力を持ち合わせていたとしても、それを使いこなせなければ、社会と言う実践の場では通用しないと言わざるを得ないでしょう。

「いい人」であることはとても大切な長所となり、またそのような人でなければ本当の意味での成功や永続的な幸福は得られないとさえ思っています。

あるいは、プライベートの人間関係だけであれば、それだけを持ち合わせていればいいのかもしれません。
しかし、社会とはいい人も悪い人も、どちらが正しいかということは抜きにしておいて、それぞれが真剣勝負であるわけです。

一太刀食らえば致命傷になりえる、それが真剣勝負の世界であり、社会であるわけです。

私も正直者が馬鹿を見るということは出来るだけ起きてほしくないとは思います。
しかしだからこそ、馬鹿を見ないように社会の厳しさを知り、円いだけではダメだということに気づき、それに対応出来るようになるべきだと思います。

その能力が欠落していると、例え真面目で優秀ないい人であっても、ただのいい人で終わってしまい、場合によっては利用されるだけ利用されるという可能性があります。

もちろん、いい人が悪いわけではありません。
しかし、いい人だけではいけないということもまた事実。

絶対に譲れないものがあったり、必要だと感じるものがあるのであれば、時には意見を主張することや反発すること、あるいは戦わなければならないこともあるはずです。
それを角だというのであれば、やはり角は必要であるわけです。

いい人は円すぎるからこそ、かえって転びやすいことになる。

今日の渋沢栄一の言葉は、それらを踏まえて非常に深い言葉だと言えます。

円いことはとても良いことです。
しかし、やはりどこかに角も必要であるというわけです。

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