「LIMOくらしとお金の経済メディア」の記事より。

罵声と過干渉で居場所を無くした経験を持つ林ゆり子さん(33)の記事があげられていました。
ゆり子さんの高校時代は壮絶なもので、両親からの罵声、暴力、過干渉がひどかったそうです。
そのおかげでゆり子さんは高校時代の傷が今も癒えず苦しんでいるそうです。
詳しくは記事をご覧いただきたいのですが、簡単にご紹介すると、
洗面所に髪の毛1本落ちていただけで何時間も罵声を浴びせられる。
門限は高校生になっても18時で、少しでも過ぎると父親の機嫌が悪くなるため、母親からのメール、電話の嵐。
自室で友達と電話をしていると携帯電話を取り上げられ、「うちの子が最近おかしいのは、あなたのせい。もう誘わないでほしい」と言われる。
日記帳を盗み見され、その日記帳から普段何をしているか洗い出され、怒られる。
父親からの暴力、それを肯定する母親。
これらの結果、ゆり子さんは次第に家に居場所がなくなり、友達や彼氏からも距離を置くこととなり、孤立してしまいました。
いつ、どこで何をしていても、両親から監視されている気がして怖かったからです。
親というものは子供を心配して、ついつい注意しすぎたり、口をはさみすぎたり、過保護になりすぎたりするものです。
それはある程度仕方ないかもしれません。
育て方に正解も不正解も無いですし、過保護になりすぎていたおかげで、子供を危険から身を守れたこともあるかもしれません。
逆に、過保護になりすぎていなければもっと自立していたり、考える能力や発信する能力が身についていたかもしれません。
結果なんて分かりません。
しかし絶対に言えるのは、そこに愛情がないとダメであるということです。
子供が小さいうちは、誰でも愛情をもって、子供の身を危険から守るため、子供の将来のために注意したり、叱ったりしているはずです。
しかし、いつしかその注意は子供の将来のためではなく、言う事を聞かないからとか、自分の思い通りに動かないからという理由で叱っていることがあります。
叱る理由の焦点がズレてきているわけです。
そうなると、本当にただの過干渉であり、子供からすると害でしかありません。
自分の人生にいつも立ちはだかる親、と言ったところでしょう。
こう書きながらも、私自身も子供を叱る時、時々怒りの焦点がズレているときがあります。
恐らく、思い返してみると結構たくさんの人がそうではないかと思います。
静かにしなさい、言う事を聞きなさい、などという言葉は、多くの場合自分本位の怒りかもしれません。
その注意は本当に子供のためになっているのか、自分本位になっていないか。
本当に愛情のある注意なのか、感情的になった注意なのか。
時には振り返って考えてみるのもいいと思います。
そして子供は親が意識していない小さな部分でもすぐに読み取って成長します。
親が気にしていない部分でも傷つくこともありますし、学ぶこともあります。
そのことについて、有名な投資家、ウォーレンバフェットはこのように述べています。
「子供は非常に早い段階で、親の価値基準を学びとる。あなたの両親が、あなたが実際に何をするかより、あなたが世間にどう思われるかを優先させれば、あなたは世間の評価を気にしながら育つことになる。」
言い回しが少し難しいですが、つまりその子が実際にどんな事をするかよりも、その子が世間にどう思われるかを気にして子育てをすれば、その子は世間の評価を気にする子になるということです。
そんなことしたら皆に嫌われるよ、とか、一人だけ勝手なことしてはダメ、という言葉はこれに上がるかもしれないですね。
少し話はそれてしまいましたが、それぐらい子供は親の言動、思考を敏感に感じ取るものです。
例え親であっても、少しでも間違っていればその非を認めることが大切だと思います。
出来れば子供に対して、私が間違っていたとしっかり謝ることが良いと思いますが、
どうしても出来ない人は、まずは自分の中で非を認め、反省するだけでも全然違ってくると思います。
そのようにして、子供と、自分と向き合えば、少なくとも大きく間違えた教育にはならないのではないかと思います。
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