心配とは、心配する側のエゴである。心配するより信用することが大切。

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教育

「可愛い子には旅をさせよ」
ということわざがある。
これは、可愛い大切な子だからこそ親の元に置いて甘やかすのではなく、旅をさせて厳しい経験を積ませるべきだという意味のことわざ。
多くの人が耳にしたことがあると思う。

このことわざの通り、子供や部下を育てるときは、決して自分の目の届くところに置いて甘やかすのではなく、厳しい状況に身を置かせてでもたくさんの経験を積ませるべきだと思う。

近頃の親や上司は、心配しすぎる傾向にあると思う。

と、偉そうに言っているけれど、私自身、親として心配性な一面を持っており、なかなか子供から目を離せない部分がるので決して偉そうに言える立場ではない(笑)

けれど、子や部下を心配するのは心配する側の勝手であると思う。

心配して過剰に見守ったり、口を挟んだり手出しをするのは、あくまでこうあってほしい、こうあるべきだ、こうならないでほしいという自分のエゴでしかないと思う。
むしろ、子供や部下にはそれらの辛い経験をする権利があると考えるぐらいでちょうどいいと思う。

人は順風満々な時より、逆境や失敗、辛い経験から学ぶことの方が圧倒的に多い。
実際、一度地獄を見た人は少々のことでは動じなくなる。
一度奈落の底まで落ちた人は、這い上がる術を覚える。

けれど親や上司は、子や部下よりも経験が豊富だから、このままいけば失敗するということがすぐに分かる。
だから、親や上司はまずいと思うとすぐに手出しをしてそれを止めようとする。
けれど、それはその子や部下が逆境や失敗、辛い経験から学ぶこと阻止しているとも言える。
結果的に人の成長を止ることになりかねないと思う。

そうであれば、子供でも部下でも、一人の人間として尊重し、自分が守ってあげなければと心配するよりも、この子なら大丈夫と信用してあげることの方がよほど大事なのだと思う。

失敗しそうになったら手出しをする、歩む方向を間違えかけたら口出しするのではなく、この子なら例え失敗しようとも、例え方向性を間違えようとも、必ず這い上がってくる、必ず正しい道を歩んでくれると信じてあげることが何より人を成長させるのだと思う。

とは言え、私もそうだけれど、それがそう簡単に出来ない。
その理由は二つあると思う。

まず一つは前述のように失敗してほしくない、辛い思いをしてほしくないという心配からくるエゴ。

そしてもう一つは、子供がだらしなかったり、言うことを聞かなかったり、先生や親戚からの評価が低いことが耐えられない、
部下が社内で評価されない、あるいはそのことによって自分の評価に関わってくる、
という、世間体や社会的評価を気にするエゴだと思う。

親なら子を心配するのは当たり前、上司なら部下を心配するのは当たり前と言われる。
そりゃあ、心の底から心配してあげればいいと思うけれど、心配するのは自分の勝手であり、エゴでしかないと思う。
結局心配とは、大なり小なり自分の思うとおりにしたいというエゴなのだと思う。

心配だろうがなんだろうが、その子供や部下を一人の人として尊重するのであれば、選択権を奪わず、自ら選択し、自ら経験させてあげなければならないと思う。

「親」とは、木の上に立って見守るものであり、木の上からノコノコ降りて来て子供の選択をとやかく言うものではない。

最近は家族を守る、子供を守る、部下を守るという言葉が美学のようになっているけれど、何から何まで面倒を見ることが守るということではないと思う。
心配して守ってあげられることがその人の器量ではなく、どんなことでも信用してあげられることがその人の器量なのだと思う。

人が成長する逆境という経験を奪ってはいけない。

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