あえて名前は出しませんが、先日、2歳児が虐待によって衰弱死する事件が発生しましたよね。
色々な人がネット上で、この親とその交際相手に怒りをぶつけていますので、これについては今更私がどうこう言っても仕方ないですが、本当にベタに、「じゃあ産むなよって」って思います。
その子が産まれてきた意味って何だったんだろうと思うと胸がしめつけられる思いです。
産まれて、やっと物心がついたかついてないかぐらいの時に、大好きで信頼している親に苦しめられて短い人生を終えてしまったのです。
こういう虐待による死亡事件はちょこちょこ起こっていますし、死亡につながってはいないものなんかは、こうしている今もどこかで起こっているのでしょう。
もしかすると、死亡していたとしても、事故死や病死として扱われているものもあるかもしれません。
実際に今回の事件でも、児童相談所に2度も虐待が疑わるという通報があり、家庭訪問までしたのに虐待の事実はないと判断しています。
その後警察も訪問しましたが、虐待はないと判断したのです。
気づかれないまま虐待として扱われていない事件は、もしかするとたくさんあるのかもしれません。
虐待する親の気持ちは正直私には分かりませんが、少なくとも、そういう人たちは人格が形成されていないということは言えるでしょう。
自分より圧倒的に弱い子供に対してそのような行動をとるというのは、理性が全く働いていない動物の行動です。
いや、動物の方が母性本能が強く、そのような行動はとらないかもしれません。
親が子を愛する、守る、育てるなんてことは、人間に限らず、動物に本能的に備わっている自然の性質でしょう。
その性質からはみ出すことは、やはり不自然なことであり、異様な人格の持ち主と言えます。
とは言え、死亡させてしまうほどの虐待の場合は、前述したように異様な行動で、一般の人には理解でいないものだと思いますが、そこまでではない虐待の場合、親本人にとっては躾(しつけ)だと思っている場合が多いようです。
例えば、子供の躾の中で、時には手をあげることも必要だと考える人と、躾とは言えどんなことがあっても手は出してはいけない、と考える人がいるでしょう。
また、手は出さなかったとしても、言葉でも十分な虐待になっていることもあります。
これぐらいはいいけど、そこまでやってはいけない、というような曖昧な部分は多々あるでしょう。
私個人的な見解ですが、子供を叱る時などは、感情的になってはいけません。
大人側が感情的になってしまった瞬間に、それは躾ではなく自分の感情をぶつけているわけです。
そういうときは、なぜ叱っているのかの本質がズレてしまって結局子供の躾になっていなかったり、子供もなぜ叱られているのか理解できなかったり、場合によっては子供も怒りをぶつけられていると感じるかもしれません。
だから、私は子供を叱るとき、常に感情的になっていないか、この注意は本当に子供のためにする注意なのかと言うことを考えてから叱るようにしています。
この感情的に叱っているのかどうか、という部分が躾なのかそうではないのかの境界線になると思います。
躾とは本来子供のためにやるものです。
もし躾ではなく感情的に叱ってしまっているのであれば、それはあなたの中のストレスがそうさせているのかもしれません。
それでも、普通の人は理性が働きますので、虐待につながることは少ないと思いますが、子供への接し方という意味では、虐待する人と同じ思考なのかもしれません。
もしそうであるならば、本当にちょっとしたことで虐待に変わる可能性があります。
一度、感情的に叱っていないか、自分の精神状況を確認してみて下さい。
子供にとっては躾の場合であっても叱られるだけでかなりの精神的なダメージを受けるわけですから、個人的には子供を叱る時はそれぐらい慎重になる必要があると思います。
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