「LIMOくらしとお金の経済メディア」の中の一つの記事を読んで、子供への向かい方を少し見直すきっかけになりました。

サブタイトル的な部分に「祖父母世代から学んだこと」と記載されてますが、まさに世代が変わって、子供の育て方や向き合い方が変わったように思います。
だからこそ、祖父母世代の言葉にハッとするときがあるんですよね。
記事中には、
「危ないこともしたいわよ」
「泣くのもストレス発散になっていいじゃない」
「すぐに貸さないのは自分がある証拠」
というような、祖父母世代に言われた言葉を紹介しています。
その中で私がピックアップしたいのが、記事中の
「危ないこともしたいわよ」
という内容。
詳しくは記事を読んでいただきたいのですが、
あなたは「危ないこともしたいわよ」と割り切れますか?
私は子供が危ないことをしていると、つい「こらっ!」とやめさせてしまいます。
危険を回避することは決していけないことではないとも思っているのですが、
何かに興味を持ったり、挑戦する気持ちを奪ってるんだろうなといつも思い、反省したりします。
でも、わかっているんだけどついつい怪我はしてほしくないので注意してます(笑)
でも、この記事を読んで、少しだけ子供を自由に遊ばせられるような気がしました。
私も子供の頃は、山や川へ行ったり、それこそ立入禁止みたいな危険な場所へ行ったり、高いところに登ったり、今考えるとゾッとするような危ないこともたくさんやってきました。
私に限らず、一昔前はみんなそうだったのではないでしょうか。
きっと、その中で学んだこともたくさんあるはずです。
昔は外で遊んできなさい、というのが当たり前でしたが、
今は危険だから、なかなか外で一人で遊ばせるのも難しいですしね。
せめてもう少し、子供の興味や挑戦を大切にしてあげたいと思いました。
そしてもう一つ、
「すぐに貸さないのは自分がある証拠」
という部分。
お友達におもちゃを貸してと言われてすぐに貸さないというのは褒めるべきところでもある、
であったり、
まだ十分に遊んでないのに貸しちゃうのはちょっと考えもの、
というようなことが書いてありました。
これはどうかな?
と思う部分もありますが、私はこれを見て、
スティーブン・R・コヴィー博士の著書、「7つの習慣」
に記載されていたある文面を思い出しました。
それは、まさに今回の内容と同じように、スティーブン・R・コヴィー博士の娘さんが他のお友達におもちゃを貸さなかったという話で、
その時、スティーブン・R・コヴィー博士は、
1.おもちゃを貸してあげてと頼んでみる
2.貸してあげれば今度は貸してもらえるよと理屈で訴える
3.ガムをあげるからと交換条件を出してみる
4.貸さなければお仕置きだと脅迫する
5.最終的には実力行使で取り上げる
という行為に及んだそうです。
その時は、貸さない娘が悪いと思っていたそうですが、後日、娘にしっかり教育出来なかったと反省したそうです。
その時、娘さんに対してどのような教育が必要だったのか。
それを以下のような文面で記載してあります。
「娘には、人に貸し与えるという経験の前に、所有するという経験が必要だったのだと思う(そもそも所有していないものを、どうして人に貸し与えることができるだろうか)。父親として、娘にそうした経験をさせてやるためには、自分の側にもっと高い精神的な成熟が必要だった。」
人に貸してあげる大切さを教える前に、所有するという経験をさせてあげることが大切だということです。
子供に限らず、大人でも自分に無いものを貸してあげることはできないでしょう。
自分が満たされているから人に分け与えることが出来る。
そうでなくても分け与えることが出来る人もいるかもしれませんが、自然な人間のプロセスとして、まずは所有するという経験をすることで、人に貸す、分け与えることが出来るんだろうと思います。
実際、我が家の子は、お姉ちゃんの方はよくお友達に物を貸してあげられる子です。
逆に、息子は全然物を貸してあげられません。
これに関して、私達夫婦には教育面で思い当たるフシがあります・・・(笑)
まさにお姉ちゃんには所有させてあげてたと思います。
息子が産まれるまでは一人っ子の状態ですから、色々買ってあげたり、それでお姉ちゃんも自分の物として遊んでたわけですから。
息子の場合はお姉ちゃんのお下がりだったりして、さらに
「それはお姉ちゃんの物でしょ!」
とか言ってしまったりしてるので・・・(笑)
反省してます(汗)
でも、だからやっぱりお姉ちゃんは弟にもお友達にも貸してあげられるのだと思います。
教育は難しいですが、今回の記事を読んで色々考えてみると、やっぱり余裕を持った教育というのが大切なんだろうなと思います。
以前にもこのブログで書きましたが、
親のしつけや教育というのは、親側から見るともちろん子供を正しい方向に導くためにするものですが、それが行き過ぎると、時には子供の興味を持つ心や挑戦する心、思考能力を奪ってしまうものになるのだろうと思います。
そのためには、やっぱり親自身が高い人格を持ち、ゆとりを持って見守ってあげるということが大切になるのではないでしょうか。
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