他はこれ我にあらず。

名言

他はこれ我にあらず。

これは禅語で、ざっくり言うならば、
「他の人に何事でもしてもらっては、自分でしたことにならぬ」
という意味になる。

禅語は奥が深いものだから、色々な意味合いで用いられることもあるので、その辺りは調べてもらったらなおこの言葉の真相が見えてくると思う。

当然だけど、他人は決してあなたではないし、あなたは他人ではない。
他人がどのように感じようが、他人がどのようなことをしようが、あなたには関係がないし、あなたがどのように感じようが、あなたがどのようなことをしようが、他人には関係がない。
もちろん、他人の権利を侵害したり、迷惑をかけたりしなければ、ということが大前提であることは言うまでもない。
その限りにおいては、人は自由であるし、一方、他人に依存してはいけないと思う。
他人に何を言われようとも、自分がこうあるべきだと思うのであればそれを貫く勇気が必要になる。
もし他人に振り回され、自分の大切な何かを失ってしまったとしても、誰も責任を取ってくれないし、責任を取れるはずがない。
他はこれ我にあらずだから。
どうあっても、責任の所在は必ず自分にある。
当たり前のようだけれど、このことはしっかりと理解しておかなければならないと思う。

また、これは逆の場合も言える。

他人はあなたではない。
だから、あなたが他人を鑑賞しすぎるのも良くない。

あなたからすれば、優しさで手伝ってあげたり、アドバイスをしようとしたり、助言をしようと思っているのかもしれない。
それはそれでいいと思うけれど、他はこれ我にあらずということは意識する必要があると思う。

大事に大事に育てすぎて、親がいなければ何もできない子供に育つことがある。
大事に大事に教育しすぎて、指示や補助がなければ何も部下に育つことがある。
あなたの親切心から出てくる優しさが、時として人をダメにしてしまう場合がある。
結果として、それは優しさではなく、残酷になる場合がある。

そうなったとしても、やはり、他はこれ我にあらずだから、あなたは何の責任も取ることが出来ない。
本当にその人のためを思うなら、あまり干渉しすぎないことも重要になると思う。

世の中では、「8050問題」と呼ばれる、80代の親が50代の子どもの生活を支える、引きこもりの高齢化が問題になっている。
その原因は心の病や外的要因、その他色々あると思うけれど、他はこれ我にあらずという原則を忘れ、親、子、ともに親離れ、子離れ出来なかったという部分も大いにあると思う。

親は子を守りたいものであり、また、子は親の優しさに触れたいものだと思う。
けれど、例え親であろうと子であろうと、やはり他はこれ我にあらずだと思う。

親が生きている間はいいかもしれない。
ずっと面倒を見ていられるうちはいいかもしれない。
けれど、ほとんどの場合は親が先に亡くなり、子は残る。
また、経済的に支援できなくなってくる場合もある。
そうであれば、いつまでも手を引いて歩いてあげるよりも、手を放して一人で歩けるようにしてあげる必要がある。
いつまでも手を引いて歩いてあげることは、優しさのつもりであっても、やっぱり残酷になり得る。

他はこれ我にあらず。
例え血縁関係があろうが、どれだけ親身にその人のことを考えようが、やはり本当の意味での責任は取れない。
そうであれば、他人を自分事に捉えることは出来ないし、そのように捉えてはいけないのだと思う。

他はこれ我にあらず。
考えれば考えるほど、学べば学ぶほど、非常に深く、難しい言葉だと思う。

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