「やらない」という選択肢を持つ勇気が大切。

ビジネス

今日も忙しい1日が始まる。
朝起きて、慌ただしく家を出て通勤する。
会社に着いた途端、激務に追われる。
色んな仕事を持ってくる上司。
ヘマをする部下。
好きなことを言ってくる取引先。
それら全ての対応をこなし、なんとか今日も仕事を終えることが出来た。
と言っても、また明日も朝早くから仕事。

このように、毎日多忙な日々を過ごす人が多いと思います。
もっと早く、もっとたくさんの仕事をこなせるようにと、効率を上げたり、どんどんスキルを磨いたりします。
しかし、これでは決して充実した日々を送ることは出来ません。

このように多忙な生活をしていると、あれだけ忙しくたくさんのことをしたはずなのに、今日1日何をしてたっけ?という感覚に陥ることがあります。
これは、やるべきことが出来ず、やらなければならないことばかりをして過ごした日に起こりがちの現象です。

自分がやりたいこと、やるべきことが出来た日は充実感や高揚感が芽生え、その日1日が印象深いものです。
しかし、周りからの依頼や山積みの仕事ばかりをやるような、いわゆる仕事をこなすという状態では、その日1日のことはほとんど記憶に残りません。

確かに一生懸命頑張っているわけですが、これではなかなか充実した日々は過ごせないし、とてもじゃないですが、成果は上がりません。

石川啄木の言葉を借りるなら、
はたらけどはたらけど、猶わが生活楽にならざり
という状況に陥ります。

ではどうすれば良いのか。
それはヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉にヒントがあります。

忙しくするだけなら蟻でもできます。
問題は「何に忙しくするか」なのです。

特に私たち日本人は、努力し、勤勉で忙しいことが美学だという風習があります。
しかし、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉のように、忙しくするだけではダメで、何に忙しくするか、その質が大切だと言えます。

上場企業の社長が経理をしたり、営業をしたり、クレーム対応をしたり、事務作業をすることは絶対にあり得ません。
彼らは人並み以上に効率よく仕事をし、人並み以上に業務をこなし、常に忙しくしていたからその地位になったわけではありません。
もちろん上場企業の社長は忙しいことは間違いありませんが、ブラック企業の社員に比べれば忙しさは半分程度かもしれません。
やはり何に忙しくするか、その質が問われるわけです。

その仕事の質をどのようにして上げていくかが問題となるわけですが、一番効果的な方法は、「やらない」という仕事を出来るだけたくさん見つけることです。

よく、やらないよりはやった方がマシだという言葉を聞きます。
確かにそういう場合もありますが、一歩間違えればこれは質の低い忙しさのスパイラルに陥ることになりかねません。
やった方がマシという考え方は、基本的にベストを尽くす考え方ではなく、妥協による選択である場合が多いからです。
その妥協による仕事のせいで、本来もっとやるべき仕事が疎かになってしまうわけです。

本来やるべきものとは、大抵の場合後回しになるものです。
なぜなら、本来やるべきこととは、上に向かうための行動であるわけですが、やらなくても現状は維持できるからです。
しかし、どうでも良い仕事に限って、やらなければならない緊急要素を含んでいるものです。

例えば、売上を上げるためにはどうすれば良いかと考えたとき、新しいマーケティング方法を考えるとか、イベント企画をやってみるとか、新たな販路を広げるとか、アイテム数を増やすなど、たくさんのことが思いつくことだと思います。
しかしそれを実際に行動に移さなくたって、現状は維持できるわけです。

一方、上司から頼まれた仕事はやらないわけにはいかない、かかってきた電話はとらないわけにはいかない、後輩のヘマは尻拭いしなければならない。

このように、本来やるべきことは自ら働きかけないといけないのに対し、どうでもいい仕事ほど、緊急要素をもって向こうから自分に向かってくるものです。
だから、ただ忙しいだけで1日が終わります。
本当にやるべきことを出来ずに、成果を上げることも出来ず、毎日が終わります。
そうであれば、やるべきことをやるための時間を確保するために、やらないという選択肢を持つ勇気が大切になってくるわけです。

「7つの習慣」の著者として有名なスティーブン・R・コヴィー博士の言葉に、
最良の敵は良である
という言葉があります。

私たちは普段、一生懸命「良」をやっているわけですが、実はそれが「最良」の邪魔をしていることが多々あります。
本来やるべき「最良」を疎かにし、「良」のために全力を尽くしているわけです。

上司の依頼を受けるのも「良」、部下の尻拭いをするのも「良」、普段与えられている仕事をこなすことも「良」であるわけです。
しかし、そのせいで一番効果的で、成果が上がるはずの「最良」を疎かにしているわけです。

「最良」が向こうから来てくれればこれほど楽なことはありませんが、前述の通り、「最良」とは自ら働きかけなければならないものです。
向こうから来てくれるものはいつも「良」か、もしくはもっとどうでもいいことばかりです。
だからこそ、自分の業務の中でやらない事を決めることは非常に有効な手段です。

「良」はあくまで、そうすることによって良いわけですから、やらないという選択をするには勇気がいることです。
しかし、そのせいで「最良」を疎かにしていることに気づくことが出来れば、本来自分がどんな仕事をし、何に忙しくするべきかが見えやすくなるはずです。

同じように頑張っているのに、なぜかあいつだけが上手くいっている、という事があると思いますが、そのあいつは、やはり何に忙しくするかが見えているから上手くいっていると言えます。

私の持論であり、部下にもよく言うセリフがあります。
賛否両論あると思いますが、
「血眼になって努力し、しんどい思いをしながら少しの成果を上げるよりも、寝ててもいいから大きな成果を上げる、そのような仕事の仕方をしなさい。」
と私はよく言います。

実は、忙しくすることの方が簡単であり、楽だったりします。
なぜなら、自分であれこれ考えなくても、与えられた仕事や向こうからやってくる緊急性の高い仕事をこなすだけで良いからです。
しかし、成果を上げていくために業務をどう改善していけば良いのかと考え、自らそれに働きかけることはとても難しいことです。

自分にとっての、やるべき「最良」とは何なのか、やらなくてもいい「良」とは何なのか。
これを見つけ、「良」をやらない勇気を持ち、「最良」を実行することが、一番成果につながりやすいと言えます。

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