容姿が良かろうが、お金持ちだろうが、必ずしもそれが良いものであるとは限らない。

哲学

自分の容姿について、もうちょっとカッコよく、あるいはもうちょっと可愛く生まれてきたらどんなに良かったことか、と思ったことはないだろうか。
私は何度も何度も、強く思ったことがある。
実際、学生時代なんかは毎日鏡とにらめっこし、鼻をつまんでみたり、口角を上げてみたり、目を大きくしてみたり、色々やったことがある。

ハッキリ言って、この世の中、やっぱり容姿が良い方が得をすることが多いと思う。

容姿が良ければ、何もしなくても異性が寄って来てくれるし、モテる。
容姿が良いというだけで、第一印象も良いし、営業や接客では絶対に得。
また、全然関係のないスポーツ選手なんかでも、容姿が良ければ成績以上にもてはやされる。
やっぱり容姿が良い方が得をする。

しかし、モテるからと言って、得をすることが多いからと言って、それが良いかどうかは別問題だと思う。
そんなに容姿が良くない人は、その分、他の何かで補う術を学べる。

例えば、トークでそれをカバーしたり、優しさや男らしさ、女らしさなど、性格や愛嬌でカバーしたりする。
カバーというよりも、その長所で容姿を補って余りあるものにすることも出来る。
それは、意識していようがしていまいが、その立場で、その与えられた環境で、その経験から得られた知恵によって、上手に生きていく術を学んでいるからだと思う。

これは容姿でなくても、例えばお金持ちの家に生まれた子だったり、コネがあったり、人脈があったりする人と、そうでない人の場合でも同じだと思う。
要するに、与えられた環境が良いものであるからと言って、必ずしもそれが良いものであるとは限らないと思う。

もし、容姿端麗の人や、お金持ちでコネもあって、人脈もある人たちが、それらを失ったとするならば、その時どちらが強いか、どちらが上手に生きていく術を持っているかどうか。
答えは明白だと思う。

もちろん、与えられた環境が良い人達が必ずしも能力を持ち合わせていないとは言わない。
けれど、どちらがたくさんの経験や学びを得られやすいかと言えば、やはり、元から与えられている物が少ない人だと思う。

正負の法則というものがあるように、スタート地点で恵まれた人は、その得をした分、知らず知らずのうちに学べることが少なくなってしまうのではないかと思う。
それに対して、決して恵まれていると言えない人は、その分多くの学びを得られる。
無条件で合格する人よりも、苦悩して考えて、自ら難関を突破する人の方が学びを得やすいし、知恵もつく。

与えられた環境で言えば、たくさん持っている人の方が確かに得だと思うけれど、与えられたものが少ない人ほど、たくさんの知恵を持っている。
何をたくさん持っているほうが良いか、という問題だと思う。

以前に、
無から有を生み出すことが大切。それが出来ない人に、有を有効に使うことは出来ない。
という記事を書いたけれど、まさに無から有を生み出す経験をしている人とそうでない人の差は大きい。
元々あるものが多いと、わざわざその努力をしようとすること自体が困難になる。
与えられたものが少なければ、自分で何とかするしかない。
だから、経験値の差は出やすいと思う。

と、まあ、私なりの勝手な個人的見解を書いたけれど、これは容姿端麗な人に対しての嫉妬かもしれない。
でも、言いたいことは、容姿が悪かろうが、お金がなかろうが、必ずしも損をしているわけではないということ。

自分の心の持ちようであり、そんな問題は自分次第で突破出来ると思う。

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