発言小町にて。
残業をする人は偉いですよね?
というトピックが立っていた。
トピックの通り、トピ主は残業をする人は偉いと主張している。
毎日22時ぐらいまで仕事をしているという。
しかし、上長から残業が多すぎるから少し控えてほしいと言われたとのこと。
それに対してトピ主の主張は、
“毎日残業してる=毎日仕事を頑張ってるということですよね?
どれだけ残業しても足りないほどに仕事を任されているということです。
僕はそれを誇らしく思っています。”
とのこと。
しかし周りからは「仕事が遅い」「要領が悪い」などと言われて納得がいかない様子。
それに対してトピ主の主張は、
“そういう人たちは毎日定時で帰ったり残業しても2時間程度なのに、上長に気に入られているためどんどん昇進していきます。
僕は上長に嫌われているので、なかなか昇進できません。“
とのこと。
仕事が出来る自分に対して、皆が嫉妬しているんだという主張。
最後は、
“残業する人は偉いですよね?
皆さんの意見を聞かせてください。“
と締めくくられている。
これに対し、
“仕事ができない人間の典型ですね。
トピ主のことですよ。
他の人がそれほど残業していないのに、トピ主だけが毎日残業しているということは、仕事ができない、要領が悪い、業務時間内に怠けて残業代を稼ぐ、のどれかってことです。“
“「残業=偉い」って図式。
時代錯誤も甚だしい。“
“仕事ができないくて要領が悪い従業員のために
ムダな残業代がかかっているんです
偉いと思っていることが驚きです“
など、残念ながらトピ主に対して厳しい意見が書き込まれている。
私個人の意見とすれば、時には残業することも必要だし、場合によっては「偉い」残業というものもあると思う。
けれど、基本的には残業は良いことだとは思わないし、ほとんどの人の意見と同じように、むしろ悪いことだと思う。
実際、根性、努力で、長時間働いて仕事を終わらせることは、いまだに美学とされる風習はあると思う。
確かにそれが急遽の依頼であったり、どうしてもすぐに終わらせないといけない案件なのであれば、自分が犠牲になって残業をすることも大切である場合もある。
けれど、それが毎日のことなのであれば、それは考えることに対する怠慢でしかないと思う。
目の前の仕事をただ片づけるだけであり、それをどう効率よく片づけるか、どうすれば時間内に終わらせることが出来るかを考えていないのだと思う。
以前にこのブログで、
Googleが掲げる「常に10倍の成果を上げる」という目標が、成果を上げるための思考のカギとなる。
という記事を書いたけれど、10倍の成果を目指そうと考えると、根本的に今のやり方を見直すしかない。
10倍の仕事をこなすために、今より10倍働きますという人は居ないはず。
今回のトピ主にしても、確かにたくさんの仕事を任せられているのかもしれないし、時間内にはとても終わらない仕事を頼まれているのかもしれない。
けれど、それがもし今の10倍の量になったら、トピ主も10倍残業しますとは言わないはずだし、物理的に無理になってくる。
そうなると、どうすれば10倍の仕事をこなせるかを考えるはず。
今トピ主は残業をして仕事をこなしているけれど、それは残業する代わりに、日々の業務の改善に対しては思考停止しているのだと思う。
仮に10倍ではなくても、2倍の仕事を任されたときに、トピ主が同じような主張が出来るかどうか。
答えは明白で、2倍の残業をするのではなく、2倍の量の仕事をこなせるように取り組み方を変えるしかない。
そうであれば、はじめから残業をしなくていいような取り組み方考えるべきなのだと思う。
トピ主は自らの書き込みでもあるように、残業をすることを誇らしく思っている。
けれど、それが残業しても自分がこなせない範囲になってくると、次は終わらせることを考えるしかなくなってくる。
つまり、トピ主は残業が美学だと思っているから、思考停止しているのだと思う。
思考停止しているからこそ、要領よく仕事をしようと常に考えている周りからすると、ダラダラ仕事せずに早く終わらせろ、仕事が遅い、要領が悪いと見えるのだと思うし、実際にそうなのだと思う。
特に今の時代、会社や他人が求めているのは、ただただ自分を犠牲にして長時間働き続ける人ではなく、効率をよくするため、あるいは成果を上げるために改善を繰り返す、考え抜く人であると思う。
思考停止の努力家は敬遠される時代になってきていると思う。
ゆえに、トピ主が昇進せず、周りが昇進するのは当然の流れだと思う。
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