この世に絶対はなけれど、原則はある。

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哲学

「この世に絶対はない」という言葉がある。
私自身もそのように思うし、このブログでも何度か書いてきた。
この世に正解も不正解もないと思う。
けれど、この世に絶対はないけれど、原則というものはあると思う。

この世の大原則に逆らえば、必ず返り討ちになる。

例えば一見オカルトのような話で、笑顔でいることや挨拶をすること、感謝をすることで幸せになれると言われることがある。
これには物理的な根拠や科学的な根拠は一切ないように思われる。

けれど、笑顔でいると周りの人も楽しくなる。
挨拶をするとされた方も気持ちよくなる。
感謝をすると、自分も心地よいし、相手も嬉しい気持ちになる。
これらの行為によって、多分9割ぐらいの人はいい気分になると思う。

なぜかという根拠は分からないけれど、今読んでくれている人も9割ぐらいの人がそう思うと思う。

恐らくこれが原則であり、そういうものなのだと思う。

だから、笑顔や挨拶や感謝によってお金が流れ込んでくることもないし、急に運気が良くなることもないかもしれないけれど、少なくとも相手がいい気分になり、それによって自分もいい気分になる。

つい先日、
上手くいっているからいつもニコニコしているのではなく、いつもニコニコしているから何事も上手く。
という記事を書いたけれど、そこにも書いたように、ニコニコしている人には近づきたいと思うけど、ブスっとしている人には近づきたくないと思う。

これも原則。

そして自分も周りも気持ちの良い状態でいるからこそ、仕事のパフォーマンスも上がるし、周りの協力やサポートも生まれてくるものだと思う。

だから、たかが笑顔、たかが挨拶、たかが感謝と思うかもしれないけれど、普段からそのように過ごしている人とそうでない人の差は徐々についてくるものだと思う。

笑顔を振りまかれて、挨拶されて、感謝されて、嫌だなとか、気持ち悪いなと思う人はほとんどいない。
それこそ1割ぐらいだろうと思う。

けれど、笑顔を振りまけない、挨拶できない、感謝の気持ちを伝えられない人は、
なぜか笑顔を振りまいたら馴れ馴れしいと思われるのではないかとか、挨拶するとうっとうしいと思われるのではないかとか、感謝の気持ちを伝えると気持ち悪いと思われるのではないか、
などと思ってしまう。

たった1割の可能性に怯えてしまう。

きっとこれは傷つきたくないという防御反応と、無難に過ごしたいという感情のせいだと思う。

けれどこれらは原則であり、相手が気持ちいいこと感じることすればいい。
1割の可能性に怯えるのではなく、9割の人に向けて行動しようと、意識と性格を変えていく方がいい。

とは言え、1割の人の存在が気になるのも事実だと思う。

けれどその1割の人たちは、もともとあまり関わるべきではない人だと考えて差し支えないと思う。

何度も言うけれど、これらは原則であり、それを心地よく思わないわずか1割の人たちは原則に反する人たちであり、そのような人たちは自分も含め、およそ9割の人たちの気分を害したり、傷つけたりすることが多い。

モラルがなかったり、ネガティブだったり、妬み、嫉みが多い人だったり・・・
簡単に言うと、根性や性格が悪かったりすることが多いと思う。

シェイクスピアの
「あなたがたとえ氷のように潔癖で雪のように潔白であろうとも、世の悪口はまぬがれまい。」
という言葉があるように、どれほど原則に沿った行動をしていたとしても、例えほとんどの人に心地よさを与えていたとしても、必ずそれをよく思わない人は居る。

そのような人たちを気にしていてはいけないし、むしろ関わらないようにした方がいい。

自分が原則に従っていれば、自然とそういう人は周りに居なくなり、自然と素敵な人たちが周りに集まるようになる。

結果として、やっぱり笑顔でいることや挨拶をすること、感謝をすることで幸せになれる可能性が高くなるのだと思う。

オカルトのような話だけれど、決してこれらはオカルトではないと思う。
そうあるべくしてそうなる、これが原則だと思う。

人見知りだからとか、あまり明るい方ではないからという人もいると思うけれど、そこは頑張って変えていくべきだと思う。
そうでなければ、原則の外側にいる人たちが寄ってくる。

この世に絶対はないとはいえ、人はいつか死ぬことは絶対である。
それと同じぐらい、原則は絶対である。

その原則が通用しないのであれば、それは化け物であり、この世のものではないと思うぐらいでいいと思う。

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