「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
これはアインシュタインの有名な言葉です。
常識に惑わされるなとか、常識が邪魔をするとか、常識によって妨げられることが色々あるという風によく言われます。
私は、これは事実だと思っています。
常識と言うのは世間一般にそうであるという、まるで平均のようなものであり、多くの人が持つ意見、意識なのでいかにも正しいように見えますが、決して多くの人が持つ意見が正しいということはありません。
その考え方こそが偏見であるわけです。
大多数がそう思う=正しいというわけではありません。
常識を身につけることは大切ですが、常識が正しという偏見を持ってはいけません。
アインシュタインはこのことを言っているのではないかと思うわけです。
常識が正しいと思い込むことは、あなたに必要な考え方や行動を妨げることになりかねません。
つまり、常識が正しいという偏見を持つことで、それ以外の考え方や行動は不正解だと無意識的に思ってしまい、拒絶し、あなたにとって大きな機会を逃している可能性があるわけです。
そして常識とは、時代の流れよりも遅れるものです。
例えば、会社に勤めていれば昇給し、終身雇用制度で面倒を見てもらえ、退職金が貰え、さらには年金さえ納めておけば、老後の面倒は国が見てくれるというそれはそれは素晴らしい時代がありました。
しかしそんな時代はとっくに終わったことは、誰の目から見ても明らかで、みんなその事に気づいているはずです。
それでも、とりあえず生活するために、収入を得るために会社で働き、毎月給料をもらい、税金を納め、相変わらず同じ行動をしているわけです。
確かにそれ以外に手段が無いのかもしれませんが、では何らかの対策を講じている人がいるかというと、そういう人さえも少ないと言えるでしょう。
つまり、時代の流れが変わり、みんなその変化に気づいているにもかかわらず、みんなが一般的にやっている常識の行動をとるわけです。
もう一度言います。
常識とは、時代の流れよりも遅れるものです。
時代が変化し、完全に定着することで、ようやく常識というものは生まれるわけです。
常識はその時代の行動を象徴するものであっても、時代の変化に対応できるものではありません。
その思考でいる限りは、時代が変化したとき、どうしても遅れが生じるわけです。
ということは、その常識は時代錯誤であり、その限りでは、決して正しいものではないと言えるでしょう。
常識の通りに行動していては、気づいた時には遅かったということになりかねません。
それが恐慌というものさえも生んでしまうわけです。
皆が同じようにやっていたことで、大多数の人が不況に陥るわけです。
今はそんなことあり得ないと思っているかもしれませんが、その考えで手遅れになったために恐慌に陥ったと、歴史が物語っているわけです。
もし仮に、このタイミングでみんなが一斉に退職してフリーランスになったり、投資を始めたり、将来についてなんらかの対策を講じ始めたりすると、あなたも焦りを見せ、何らかの対策を講じるのではないでしょうか。
もしその状況になって講じるというのであれば、本当は今のままではまずいということに気づきながら、無意識のうちに常識に支配されている可能性があります。
もう一度、自分自身に今何が必要なのか、常識が正しいという偏見を取り除いて考えてみてはいかがでしょうか。
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